孔子「仁と恕」と聖書「Golden Rule」と長治「商売の根本」
倉本長治のことば。
「あきないの心」
25番目にあるのが、
「思いやりこそ商いの根本」
このタイトルは誰がつけたのか。
長治自身ではないと思う。
編集者の目で見ると、
あまりよろしくはない。
しかし内容は素晴らしい。
この稿は長治が好んだ孔子の話だ。
「孔子は、学問の上でも、
日常生活の上でも、
政治上でも、
“仁”を一番に尊んだが、
それを実践するのが
“恕”であったようで、
その行為が身についた像が、
“徳”なのかと判断される」
仁と恕と徳。
「じん」と「じょ」と「とく」。
「ある弟子が、孔子に
“仁とは何か”と問うたとき、
孔子は、
“自己抑制と
忠孝義信の道を守ること”
としているが、
また別の弟子が問うと、
ただ”人を愛す”とだけ
答えていた」
政治家の「仁」は、
「自己抑制と忠孝義信の道」である。
それがない者が多い。
日常生活の「仁」は、
「人を愛す」である。
商売はこちらである。
「その孔子が
一生涯貫き通そうとし、
貫き通した
“思いやりの心”こそ
私は商売の上においても
根本だとしたい」
長治は商売の根本を、
「仁と恕」に求めた。
その「仁」
「仁義なき戦い」などに使われる「仁」
広辞苑では、
「いつくしみ、思いやり、
とくに孔子が重んじた道徳概念」
さらに説明がある。
「礼にもとづく自己抑制と、
他者への思いやり」
長治。
「”一以貫之”というが、
突きつめてみると、
それは”愛”である」
「一以貫之」は「いついかんし」と読む。
この言葉も孔子の論語にある。
四字熟語だが訓読みすると、
「いちをもって これをつらぬく」
一つのことを貫く。
そしてその貫くことを、
突き詰めると「愛」であるという。
これは「博愛」のことだ。
「博愛」はひろく愛すること。
すべての人を等しく愛すること。
アメリカのJCペニー。
コロナ禍のなかで昨年5月、
会社更生法を適用申請して倒産した。
しかし、かつて1970年代まで、
シアーズと並んで米国小売業の王者だった。
その創業の精神は、
「ゴールデンルール」
聖書マタイ福音書7章12節に示された、
神との契約。
創業者のジェームズ・キャッシュ・ペニーさん。
牧師のお父さんから習った言葉を、
商売の根本に据えた。
それが「ゴールデンルール」。
店の看板にも「Golden Rule」とだけ、
大きく書かれていた。
拙著『お客様のためにいちばん大切なこと』では、
1節を費やして紹介した。
「さらば、すべて、
人にせられんと思うことは、
人にもまた、そのごとくせよ」
「自分が、
そうしてもらいたいと思うことは、
すべて、同じように、
お客様にしてあげなさい」
「自分が、
そうありたいと思うことは、
すべて、同じように、
従業員にもしてあげなさい」
イエス・キリストは結局、
孔子と同じコンセプトを訴えたのだ。
長治が達した結論。
「”仁とは
人を愛することだ”という、
その実践を
孔子が”恕”といって
終生行えと唱えたことで、
商売も究極のところ
“愛”に基づくのでないと
本当ではないという結論に
達したのであった」
たとえばイオン㈱の理念は、
「平和産業・人間産業・地域産業」だ。
ここにも「仁」と「恕」がなければいけない。
「仁」の実践を孔子は、
「恕」と言った。
すなわち「恕」は、
「仁」の実践行動の指標である。
広辞苑の説明では、
「恕」は「ゆるすこと」である。
実にシンプルだ。
「恕」という文字は、
「心」の「如(ごと)く」と書く。
つまり「心のままに」。
それが「許すこと」。
福沢諭吉も恕を説明している。
「思いやりとは競争社会で、
相手をおもんぱかる心のこと」
再び長治。
「その孔子が一生涯貫き通そうとし、
貫き通した”思いやりの心”こそ
私は商売の上においても
根本だとしたい」
長治はこの「愛」と「思いやり」を、
商売の根本だとする。
「仁」と「恕」である。
そして「仁と恕」を備えた商人には、
「徳」がそなわる。
お説教や道徳としてではなく、
人柄に「仁と恕」がにじみ出ている。
そんな人間になりたい。
そんな商人でありたい。
残る12月も、
仁と恕で仕事を全うしたい。
〈結城義晴〉