商人舎15年目の「店」から「業」へ、「業」から「人」へ。
横浜の商人舎オフィス。
それなりに年季が入ってきた。
2008年2月1日に会社を設立して、
15年目を迎えた。
何より本が増えた。
資料などはできるだけ、
デジタル化してストックしているが、
それでも増えた。
自転車も加わった。
ロヂャース28号。
乗る機会がつくれなくて、
今のところ、
インテリアと化しているが。
前職の㈱商業界で30年。
現在の㈱商人舎で15年。
商人舎となってからは、
池袋の立教大学で5年。
研究室も持っていた。
しかし商業界の30年間は、
ずいぶん長かった気がする。
入社して12年で編集長に就任した。
それから7年で取締役、
さらに7年で代表取締役となった。
長く感じるのは、
立場も変わったからだろう。
その㈱商業界は、
コロナ禍の2020年4月に、
自己破産した。
商業界の創始者・倉本長治は、
28歳でスカウトされて、
月刊雑誌「商店界」編集長に就任した。
昭和2年(1927年)のことだった。
商業、流通業の世界には最初に、
「商店界」という専門雑誌が存在したのだ。
それから戦後の昭和23年(1948年)に、
株式会社商業界が設立されて、
月刊商業界が創刊された。
倉本長治は、
商人道を説くとともに、
欧米流の商業の近代化を訴えた。
はじめは「店」の雑誌だった。
近代化以前の商店のためのメディアだった。
次は「業」の雑誌だった。
「業」は仕事や事業のことであり、
業種、業態などを意味する。
近代化を志向して、
チェーンストアやショッピングセンターを、
啓蒙し、指導した。
平成の時代となって、
その20年(2008年)、
私は会社をつくって、
「商人舎」とした。
人が集まり、学ぶ舎人(とねり)である。
商人が集まり、学ぶメディアだ。
21世紀は知識商人の時代だと見定めた。
さらにその知識商人たちが、
商業の現代化を実現すると考えた。
ポストモダンの流通業である。
近代化の呪縛から解き放たれ、
近代化の矛盾を克服し、
さらに真の全体最適を志向する。
商店界の時代には、
小さな業種店と大きな百貨店しかなかった。
小さな雑草と大木の百貨店による森。
月刊商店界は最後には、
小手先技術と目先の販促の雑誌となって、
1993年に廃刊した。
商業界の時代には、
流通革命の実現を目指して、
さまざまなチェーンストアが登場した。
超巨大なチェーンストアをつくる時代。
しかしそのために小さな雑草は、
刈り取られても仕方ないとの主張さえあった。
「大きいことはいいことだ♫」
大木だけの森を目指した。
商人舎の時代は、
巨大なコングロマーチャントも、
さまざまな業態の企業も、
小さな専門店も、
全体最適の社会を目指しつつ、
それぞれにポジショニングを確立する。
新しい共生の森を志向する。
さらにそこには、
デジタルの沃野が広がり、
オフラインとオンラインが融合する。
ユニコーン企業が、
新たに登場するだろう。
しかしゼブラ企業も、
続々と誕生するに違いない。
すべては知識商人たちが実現させる。
「店」から、「業」へ。
「業」から、「人」へ。
近代化前から近代化へ。
近代化から現代化へ。
商人舎は、
なくてはならない発信媒体となる。
志ある知識商人の、
意識と行動を変えるメディアとなる。
私たちの商人舎は、
そのために存在する。
ちょっと年季の入ったオフィスで、
そんなことを思った。
いい日だった。
〈結城義晴〉
(注)ユニコーン企業とは、
イノベーションを起こし、
市場を独占することで、
多額の利益を生む可能性をもつ、
スタートアップ企業のこと。
そのユニコーン企業は、
第一に利益を追求する。
これに対してゼブラ企業は、
SDGsやサステナビリティなど、
持続可能な範囲の中での成長を重視する。
共創の社会貢献を第一の目的とする組織である。