「はじまり」は 「終わり」を知る者によって開かれる。
「明日、また明日、また明日と、
小刻みに一日一日が過ぎ去って行き、
定められた時の最後の一行にたどりつく」
「きのうという日々は
いつも馬鹿どもに、
塵泥(ちりひじ)の死への道を
照らして来ただけだ」
「消えろ、消えろ、束の間のともし火!
人生はただ影法師の歩みだ」
「哀れな役者が短い時間を
舞台の上で派手に動いて声張り上げて、
あとは誰ひとり知る者もない」
ウィリアム・シェークスピア。
『マクベス』木下順二訳。
この台詞。
まるでウラジーミル・プーチンのようだ。
スコットランドの将軍マクベスは、
勇猛果敢だが小心な一面もある男。
魔女の暗示にかかり、妻と謀って、
主君ダンカンを暗殺して王位に就く。
しかし内面と外面の重圧に耐えきれず、
錯乱して暴政を行い、
貴族や王子らの復讐に倒れる。
シェークスピアは不思議なことに、
1564年の4月23日に生まれ、
1616年の4月23日に没した。
「プーチンの戦争」は正念場を迎えた。
対ドイツ戦勝記念日の5月9日までに、
ウクライナ東部ドンバス地方の制圧を完了し、
一定の「戦果」として誇示したい意向のようだ。
しかしウクライナ軍は、
国際社会の軍事支援を受けて、
態勢が増強されている。
小心のプーチンの内面外面の重圧は、
いかばかりか。
朝日新聞「折々のことば」
第2266回は今年1月18日版。
これも印象に残る言葉だった。
メモ帳に残っていた。
「はじまり」は
「終わり」を知る者によって
開かれる。
これは絶望の底に潜む
希望です。
〈姜(きょう)信子〉
『忘却の野に春を想う』
歴史社会学者・山内明美との往復書簡。
姜信子は1961年、横浜市生まれの作家。
1986年『ごく普通の在日韓国人』で、
ノンフィクション朝日ジャーナル賞受賞。
2017年『声 千年先に届くほどに』で、
鉄犬ヘテロトピア文学賞受賞。
山内明美は1976年、宮城県南三陸町生まれ。
宮城教育大学教育学部准教授。
歴史社会学・農村社会学を専攻。
東日本大震災以後は、
郷里の南三陸で農村調査を行っている。
ふたりの往復書簡は、
現代のひずみを描き出す。
「“復興”したとされる三陸沿岸の人影も
疎(まば)らな人工的な景色を見て、
ハンセン病療養所のそれをつい思う」
「すべてが閉ざされ、断たれた後、
宗教や芸能は
発生時のいわばゼロ地点へと
いったん押し戻され、
そこから種を蒔(ま)くように
首をもたげるはずだ」
ヨハネの福音書の「一粒の麦」と同じだ。
「はじまり」は、
「終わり」を知る者によって
開かれる。
プーチン戦争の終わりを知る者は、
プーチンではない。
したがって、はじまりを開く者は、
プーチンではない。
明日、また明日、また明日と、
一日一日を小刻みに闘う、
ゼレンスキーに違いない。
そして、
多くの死を悼みつつ乗り越えた、
絶望の底に潜む希望は、
必ず成就するだろう。
さあ、私たちも、
明日、また明日、また明日と、
小刻みな一日一日の仕事に精を出そう。
〈結城義晴〉