「虹が立つと市が立つ」と商人の「聖なる戦い」
ロシア軍によるウクライナの侵攻は、
まだまだ続いている。
私たちがこうして日々、
安穏と暮らしている間にも。
故瀬戸内寂聴さん。
「戦争にいい戦争はない。
すべて人殺しです」
「愛する人と別れること、
愛する人が殺されること。
それが戦争です」
プーチンによって引き起こされた、
「プーチン戦争」
そんななかでNHKが伝える。
首都キーウ近郊のボロジャンカは、
ロシア軍によって激しい攻撃を受けた。
4月28日、町の中心部に、
「市」が立った。
食料品などを売る仮設の市場だ。
これは希望の星だ。
ボロジャンカは、
いたるところで集合住宅などの建物が破壊され、
ロシア軍が撤退したあとに、
多くの市民が遺体で見つかった。
電気や水道などインフラも大きな被害を受けた。
だからほとんどの商店が閉まっていた。
28日には、町の中心部に、
テントが並んだ。
それが仮説の市場だ。
そして食料品や生活用品が売られた。
ソーセージなどの肉製品や魚のくん製、
さらに眼鏡などまで販売された。
〈NHK newswebより〉
「市場」は平和の象徴だ。
商業は「市」から始まった。
4月26日のこのブログで、
商業界会館がなくなる話を書いた。
その会館のファサードの2階部分に、
「虹の市」のレリーフがはめ込まれている。
丸い緑青のレリーフ。
「虹の市」がデザインされている。
「虹が立つと、
市が立つ」
日本でも平安時代には、
虹が出ると市が開かれた。
虹は神の世とこの世の架け橋である。
天からのメッセージである。
だから市を開き、交易が行われ、
神に祈った。
商業界会館は、
その虹の市が立つ、
礎となる場を目指した。
倉本長治は、
マックス・ウェーバーに、
大きな影響を受けていた。
「プロテスタンティズムの倫理と資本主義の精神」
ピューリタニズムは、
営利の追求を敵視する。
しかしその経済倫理が実は、
近代資本主義の生誕に、
大きく貢献した。
倫理と資本主義、
哲学と商売。
倉本長治の「商業革命と革命的商人」
「われわれがいう商業革命とは、
商品の取引、消費者に対する販売の
考え方(思想)から、
そのための組織や方法を
すべて急変させることを指し、
革命的商人というのは、
その激動をみずから挺身推進する
勇気ある先駆的商人のことである」
「商業革命とは、
“大衆が損をしても商人が儲かればよい”
とする不当な伝統主義を打破して、
新しい商業モラルを
打ち立てる聖なる戦いなのである」
虹の市が立つと、
この「聖なる戦い」を思い出す。
ウクライナに幸あれ。
最後に朝日新聞「折々のことば」
第2362回。
節制も勇敢も
「過超」と「不足」によって失われ、
「中庸」によって保たれる
(アリストテレス『ニコマコス倫理学』から)
「栄養の過多も不足も
ともに体の健康を損なうように、
勇気のありすぎもなさすぎも
人を無謀か臆病にする」
欧米の経営者教育の核心は、
この「中庸」にある。
超過でもいけないし、
不足でもいけない。
「中庸」である。
例えば粗利益率は、
高ければいいのか。
高すぎると顧客が損をする。
低すぎると店が成り立たない。
「中庸」に設定して、
それを一定に保つのがいい。
編著者の鷲田清一さん。
「若い頃は、中庸とは
結局は妥協だと決めつけていたが、
齢を重ね日々の身動きにも
慎重を要するようになり、
適切な中間を選び取ることこそ、
断崖に挟まれた尾根を歩むように
難しいと思い知る」
そう、中庸こそ難しい。
プーチンには、
この「中庸」の教養が欠落している。
〈結城義晴〉