「使い過ぎと使わな過ぎ」の「真贋」と「情操」
猛暑だった。
群馬県伊勢崎市では40.2度を観測。
6月の国内最高気温を更新。
群馬県は桐生市でも39.8度、
栃木県は佐野市で39.7度。
埼玉県は鳩山町で39度を超えた。
観測史上最高気温が続出。
東京都心では35.4度。
今年初めての猛暑日。
横浜市は32.8度。
関東地方を中心に高気圧に覆われて、
晴れ間が広がるとともに猛烈な風が吹いた。
東京湾を横切るアクアラインは、
横風のため40キロ規制が続いた。
その猛暑暴風の中、
予定が入っていたのでゴルフをした。
散々な内容だったが、
なんとか凌いだ。
そして終わってから考えた。
ひどく風が強いから、
その風にボールが煽られて、
ミスショットが出る。
そう思いがちだが、
そうではない。
風が強くて暑いから、
身体に力が入り過ぎる。
その結果、
自分のスイングがおかしくなって、
ミスショットが増える。
どんな状況の中でも、
自分のフォームと自分のスイング、
自分のリズムと自分のテンポ、
自分の実力と自分の戦略。
それを貫徹しなければならない。
中部銀次郎。
「ゴルフで起こったことは、
鋭敏に反応してはいけない。
柔らかくやり過ごすことである」
これは仕事や商売にも当てはまる。
現在の閉塞状態にも、
鋭敏に反応してはいけない。
柔らかくやり過ごすことだ。
「ほぼ日」の糸井重里。
毎日書くエッセイが「今日のダーリン」
1999年6月6日以降23年間、
1日も休まず書き続けられている。
私のブログは2007年8月10日から、
15年近くになる。
そしてこれもずっと続く。
その糸井さんのエッセイ。
「肩がこるとか首がこるとか、
腰が痛いとか背中が痛いとか」
何らかの治療を繰り返してきたが、
最近は治療院よりも、
ジムに通っているそうだ。
このジムで、トレーナーに言われた。
「硬いとか痛いとかいうのは、
おおざっぱにいえば
筋肉を使いすぎているか、
使わなすぎてる状態ですから」
「わっ、そういえばそうだよと、
目からうろこでした」
「たとえば、
デスクワークを続けていると、
ずっと同じ姿勢でいるから、
同じ筋肉が固定されている。
つまりは、使わなすぎている
ということですよね」
「スポーツ選手の場合だったら、
使いすぎているケースです」
「子どもは、遊びながら
身体をいつも動かしてるものなぁ」
そこで糸井の考察。
「硬いとか痛いというのは、
使いすぎているか、
使わなすぎている」という言葉は、
「身体のことだけじゃないように
思えるんです」
同感だ。
「”思考のこりや痛み”も、
あたまやこころのどこかを、
使いすぎたり使わなすぎたり
しているせいじゃないか、と」
倉本長治の商売十訓。
その第二訓が、
「創意を尊びつつ良いことは真似よ」
これはイノベーションを意味している。
創意を尊ぶは「クリエーション」、
良いことを真似るは「イミテーション」。
創意を尊び過ぎてもいけないし、
真似るだけではもっといけない。
商売の場合は得てして、
「真似る」に傾き過ぎる。
それはいけない。
月刊商人舎2020年4月号。
特集「真似る」
「模倣の経営戦略」の真贋
実にいい特集だった。
今、読み直してみて、
輝きは失せないどころか、
輝きは増している。
糸井重里の最後の一言。
「いまはぼく自身に
“情操の時間”が
必要な気がしてならない」
「情操」とは日本大百科全書では、
「道徳、宗教、芸術、学問など
社会的価値をもった感情の複合」という意味だ。
「絵画や音楽を鑑賞するとき、
情動のようなはっきりしたものではなく、
なんとなく心が洗われるとか、
身が引き締まるとかいう感じになることがある。
このような漠然とした、
いくつかの感情が複合したような状態をいう」
「この情操を身に備えた人間は、
社会的価値のうえで高く評価される」
つまり「情操」によって、
「使い過ぎや使わな過ぎ」が防止される。
糸井重里はそれを言う。
商売における「模倣の経営戦略」も、
「情操」が欠けると「真似」に傾く。
そして真贋(しんがん)の「贋(がん)」になる。
「真贋」とは「本物と偽物」という意味で、
「贋」は「偽物」のことだ。
商人にも人間にも、
「情操」は必要だと思う。
〈結城義晴〉