「命を軽んじ、生活を軽んじ、言葉に鈍する者は、 必ず滅びる。」
プーチンのロシア軍。
ウクライナのショッピングセンターを、
ミサイルで攻撃した。
心が痛む。
中部のポルタワ州クレメンチュク。
18人が死亡し、
59人が怪我をした。
現地の映像では、
建物が燃え、
大量の黒煙に覆われる。
小売業やショッピングセンターは、
平和の象徴である。
その平和の場に、
無差別にミサイルを撃ち込む。
ロシア国防省は、
武器や弾薬が保管された倉庫を攻撃したと、
嘯(うそぶ)く。
その結果、弾薬が爆発し、
隣接する商業集積で火災が発生したとか。
国連の安全保障理事会は、
事態を重く見て緊急会合を開く。
6月の安保理議長国はアルバニアだが、
そのジャチカ外相はツイートした。
「罪のない市民に対する
ロシアの戦争犯罪の一つだ。
状況の重大さから安保理議長国として
緊急会合を開催する」
厳しく指弾すべきだ。
朝日新聞「折々のことば」
先週土曜日の第2420回。
「敵」をやっつけるのが
戦争ですが、
壊れるのは自然であり、
失われるのは生活であり、
死ぬのは人間です。
(詩人・長田弘『すべてきみに宛てた手紙』から)
「その時、言葉もまた
“人間のいない言葉”ばかりになる」
「戦争が終われば勝者は
戦争が解決だと確信する。
敗者は戦争は解決でないと思い知る」
「が、20世紀の後半に入り、
各地で終わりの見えない紛争が続く」
「それとともに
経験をくみあげる言葉の力も
弱まっていないか」
言葉の力は、
確かに弱まっている。
日本語にかぎらない。
いやむしろ、
ロシア語はひどく弱まっている。
中国語も朝鮮語も、
弱まっていると思う。
命を軽んじるから、
言葉を軽んじ、
生活を軽んじ、
自然を軽んずる。
だから平気でショッピングセンターを攻撃する。
言葉は大切にしたい。
言葉を重く受け止めたい。
言葉を軽んじる者は、
必ず滅びていく。
日経新聞「私の履歴書」
今月は矢野龍さん。
住友林業の社長、会長を歴任し、
現在、最高顧問。
意外と言っては失礼だが、
1カ月間、面白かった。
「社長時代、入社式の訓示で僕は毎年、
ケネディ大統領が米国国民に呼びかけた
有名な演説を引用した」
「Ask not what your country can do for you,
ask what you can do for your country」
(国が何をしてくれるかを問うのではなく、
国のために何ができるかを問うて欲しい)
この「country」を「company」に変えて、
矢野さんは新入社員にお願いする。
しかしこれは、
会社への滅私奉公を求めるものではない。
真意は、
「会社はあなた方に
人生の活躍の舞台を用意するから、
思う存分そこで自分の能力を発揮して
悔いのない人生を歩んでほしい」
北九州大学で実用英語を学び、
アメリカに長く駐在し、
外国人の友人を多く持ち、
矢野さんは英語文化から大いに感化を受けた。
だから嫌味なく、英語を上手に挟み込む。
「Where there is a will, there is a way」
(志あるところに必ず道は開ける)
そしてそれは会社の経営にも生かされた。
「僕は江戸時代から受け継がれてきた
住友の事業精神に感銘を受け、
それと米国仕込みの
ポジティブでシンプルな
考え方、ものの言い方が
混合したような社長であった」
矢野龍さんも、
その意味で言葉を重く見たし、
言葉を大切にした。
2021年の[Message of April]
言葉
言葉は不思議だ。
人間が人間であること、
ヒトが他の生物と異なることを、
証明しているのが言葉だ。
たとえば日本語と英語・フランス語・ドイツ語。
「市場」と“Market・Marché・Markt”。
いずれにも狭義の「いちば」の意味があり、
広義の「しじょう」の意味をもつ――。
はじめに言葉ありき。
言葉は神とともにあり。
言葉はすなわち神なりき。
〈ヨハネ福音書〉
言葉で知覚し、
言葉で思索し、
言葉で伝達し、
言葉で議論する。
新人諸君、先輩諸氏。
社長も部長も店長も。
言葉に鈍感な者は退け。
言葉で考えぬ者は去れ。
評論家もコンサルタントも。
識者も学者も、編集者も。
言葉に愚鈍な者は衰えることを知れ。
考えぬ者は滅び去ることを悟れ。
命を軽んじ、
生活を軽んじ、
言葉に鈍する者、
嘘をつく者は、
必ず滅びる。
〈結城義晴〉