タブレット、スマホの時代とユースキン製薬新社屋披露会で感じたこと
今日も東京・横浜は雨。
ひと雨ごとに春。
松任谷由美の「春よ、来い」
春よ 遠き春よ
瞼閉じればそこに
愛をくれし君の
なつかしき声がする
とはいうものの、今年は、
胸の奥がざわざわしている。
あの日が迫っているからだ。
ほぼ日刊イトイ新聞の「それぞれの3月11日」。
「3月11日、なにしてる?」と問いかける。
3月11日、
あなたは、
何をしていますか?
さて日経新聞3面に、
「タブレット端末、1億台時代へ」 の記事。
米国の調査会社ガートナーの昨年の予測。
世界のタブレット出荷台数は、
2011年に約7000万台だった。
それが2014年には2億2000万台に増える。
その時点で、パソコンは、
5億3000万台と予想されているから、
パソコンの半分に迫る。
今年の2012年、
米国でのタブレット出荷台数予測は3530万台。
これは個人向けノートパソコンの2950万台を上回る。
1カ月ほど前の2月7日のこのブログ。
「スマホがパソコンを逆転」 と書いた。
さらに今度はタブレットがパソコンに迫る。
タブレットの代表はアップルのiPad。
これが世界シェアの約6割。
韓国サムスン電子とグーグルの「ギャラクシータブ」、
米アマゾン・ドット・コムの「キンドル」シリーズが、
iPadを追う。
マイクロソフトも今年度の「ウィンドウズ8」で、
タブレット・マーケットでの巻き返しを意図している。
タブレットは、
①パソコンの高性能
②スマホの携帯性
両者を併せ持つ。
私も月1回の会議のひとつは、
ipadを使う。
アップルのティム・クックCEO。
「タブレットはわずか2年で
普通の人々の生活に無くてはならない存在になった」。
「日本では3月16日にソフトバンクモバイルが新型iPadを発売。
KDDIも4月以降に発売する見通し」
スマホとタブレットが、
もうパソコンを追い抜き、それに迫る。
このスピード感。
しかしそれらがすべてを塗り替えてしまうわけではない。
共存しつつ、さらに便利になっていく。
インターネットのホームページからブログへ。
そしてツイッターからフェイスブックへ。
しかし、古い古い古本も残るし、
単行本は新書、文庫ジャンルも広がる。
新聞や雑誌もなくなるわけではない。
ただただチャネルやメディアの種類が増える。
そしてそれぞれにマーケットを獲得し、
定着していく。
より便利なものが最大の存在に、
そうでないものはそれなりに定着する。
1962年、エベレット・ロジャースが説いた「イノベーター理論」。
顧客は5種類に分けられる。
1.イノベーター =革新的顧客
2.オピニオンリーダー=初期少数顧客
3.アーリー・マジョリティ=初期多数顧客
4.レイト・マジョリティ=後期多数顧客
5.ラガード=伝統主義顧客
例えばラガードは、どんなマーケットにも存在する。
いまだに携帯電話を持たない人がいるし、
仕事でもパソコンを使わない人もいる。
さすがに据え置き電話は必要だろうし、
武者小路や志賀の白樺派や、
安吾、団などの無頼派の時代ように、
ハガキや電報で待ち合わせの連絡をするという輩はないだろう。
余談だが、昭和52年、
私が社会人になりたての頃、
慶応大学教授の村田昭治先生の担当になった。
村田先生はハガキ派だった。
電話すら受けなかった。
だからタブレットのipadが増えようと、
スマホパソコンを抜こうと、
それだけになるものではない。
小売業の業態では百貨店が一番古いものだし、
「業態の盛衰」という概念でとらえると、
衰退気味の業態でイノベーションが要求されてもいるのだろうが、
世界中でデパートメントストアはなくなりはしない。
タブレットとスマートフォン、
そしてパソコン。
いずれも現代ビジネスマンは、
使いこなさねばならないことにはなるが、
それだけになってしまうものでもない。
「ひとつの手段に頼ろうとする誘惑は、
これを退けなければならない」
だから手書きの文章や手紙もいいし、
ペーパーの活字もいいし、
デジタルのワープロ文字もいい。
ネットで伝播する絵文字もいいだろう。
きのうの夜は、
川崎のユースキン製薬㈱を訪れた。
その新社屋落成披露パーティーにお招きいただいたからだが、
代表取締役社長の野渡和義さんが、
私の中学高校の器械体操部の先輩にあたるからでもある。
「ユースキン」クリームは、
昭和32年に発売された古い商品だ。
しかしその商品の機能的・品質的な強みが、
今日まで引き継がれていて、
その心意気が新社屋に表れていた。
1階は吹き抜けのギャラリー。
ユースキン製薬のコンセプトが、
その歴史によって語られている。
2階は全フロアが研究室。
そして3階がオフィス。
私も㈱商業界の社長のころ、
古い古い社屋の全面改装をしたことがある。
その時の心弾む気分を思い出して、
野渡先輩や社員のみなさんの心情を察した。
4階の会議室では、
西村真児常務取締役が、
新社屋の構造やコンセプトをレクチャーしてくれた。
環境に適応し、働きやすい空間をつくり、
なおかつ製薬会社のコンセプトを貫く。
いい会社のいい本社。
懇親会では、
野渡社長のご挨拶。
淡々としていて、
しかもユーモアがあって、
社員を大事にしている様子が、
スピーチに込められていた。
パーティーにはトマス・トランブレ聖光学院学院長、
工藤誠一校長も列席。
トマス先生には英語を教わった。
懐かしかった。
「8期生は特徴的な生徒たちでした。
結城君も頑張って」
そう、声をかけていただいた。
工藤校長は11期生で、私の3年後輩。
「母校を守ってくれてありがとう」
私はそう、お礼を言った。
ずいぶん長い年月を経たのだなあ、と感慨深かった。
最後に野渡先輩と握手。
私たちは横浜にある私立聖光学院に通った。
中学・高校一貫教育のカトリック系の学校。
野渡さんは5期生、私は8期生。
3期生にはあのオフコースの小田和正さんがいた。
私が中学1年で器械体操部に入った時、
野渡さんは高校1年のカッコいい先輩だった。
今は、誰も、
私たちがバク転をやったり山下跳びにチャレンジしたり、
鉄棒で車輪をやったりしたとは信じないが、
野渡さんは3年上のあこがれの人だった。
体育会的には弱小高校の弱小クラブ。
指導教員は全日本学生選手権者だった酒井志郎先生と超一流だったが、
選手は少なく、練習時間も限られていて、
高校生と中学生が一緒に練習した。
酒井先生が横浜国大の監督を務めておられたので、
1回だけ国大に行って合同練習もしたことがある。
その聖光学院器械体操部先輩の野渡和義さんと、
私は44年ぶりに札幌で再会した。
感動した。
その野渡さんがユースキン製薬社長として、
日本の薬事業界やドラッグストア産業に貢献する。
本当に不思議なご縁を感じた。
スマホやタブレットの時代になろうとも、
私はいつも自分の著書には筆でサインし、落款を押す。
長い原稿は400字詰めの「結城義晴原稿用紙」にペリカンの万年筆で、
1時間6~7枚を一気に書き上げる。
もちろん毎日のブログは、
パソコンに向かって打ち込む。
「ひとつの手段に頼ろうとする誘惑は、
これを退けなければならない」
中学生の昔を思い出しながら、
そんなことを強く感じた夜だった。
<結城義晴>
2 件のコメント
結城君 私にとって一生に一度の本社ビル新築。そこに立ち会っていただいた、その日の来訪者は、私の人生の生き証人でもあるのだなぁと感慨深いものがあります。
私はあと10年、72歳を区切りにしようと考えていますが、残された使命は強い人材・組織づくりと、後継者へのバトンタッチです。結城君と40年ぶりに再会できたのは神の配剤。営業部員をいつかアメリカ流通業研修に連れていきたいと考えていたことが君を講師にして理想の形で実現できそうだと思った次第です。
野渡和義
野渡和義さま、ご投稿感謝します。
人材・組織づくり、後継者へのバトンタッチ。
まだまだ大変なお役目が残っていますね。
私にできることは何でもいたします。
40年ぶりに再会した「あこがれの先輩」なのですから。