グランドの「声出せ~」と店長たちの「いらっしゃいませ⤴」
昨夜、彦根から帰宅して、
今日は完全休養。
平和堂での都合12時間超の講義。
頭は興奮していた。
身体は疲れ切っていた。
それでも声が枯れてはいない。
喉が痛いわけではない。
これも40代から50代初めまで、
少年ソフトボールの監督をやったお陰だ。
毎週土日はグランドに出て、
声を出して指示し続けた。
子どもたちにも、
「声出せ~!!」と怒鳴り続けた。
子どもたちは、
「バッチコーイ!」
「バッチコーイ!」
と、大声を上げた。
声を出すと自分の元気が出てくる。
リラックスすることができる。
仲間を勇気づけることができる。
声が合ってくると、
チームがまとまってくる。
1年間、三が日や年末を除いて、
それは休みなしで続いた。
私は1989年1月1日、
36歳のときに、
㈱商業界の編集長に就任した。
それから1996年、
44歳の時に、
取締役編集担当になって、
販売革新誌の編集長を兼務した。
編集現場の仕事に、
一番邁進した時期だったと思う。
しかしその時に、
少年ソフトボールの監督を、
引き受けてしまった。
ちょっと後悔もしたが、
こちらの監督仕事も面白くて、
手を抜かなかった。
お陰様で関東大会などにも行った。
全国大会は一歩手前までだったが。
横浜市のオールスター大会では、
港北区の監督を務めて、
優勝までさせてもらった。
その間ももちろん、
グランドでの「声出せ~!」はやめなかった。
そのお陰もあって今、
1日6時間や7時間、8時間の講義をしても、
声が枯れることはない。
どんなことでも、
一所懸命にやれば、
あとで必ず役に立つ。
だからと言って、
あとで役に立てるために、
やっているわけではない。
どんなことにも、
一心不乱、
真剣に向かい合う。
私の人生訓のひとつだ。
ブレーズ・パスカル。
「パンセ抄」より。
私たちの本性は
運動のうちにある。
完全な静止は、
死でしかない。
(断章一二九)
いくつになっても、
動き続ける。
声を出し続ける。
商人は店で声を出す。
売場で声を出す。
「いらっしゃいませ~!」
店を訪問して、
売場を案内してもらう。
そんなときにも、
店長や地区長は、
お客さまと顔が合うと、
ちょっと控え目に、
「いらっしゃいませ⤴!」
これは、どこの企業も例外はない。
その声はやはり、
とても鍛えられていて、
通常の会話の声ではない。
ちょっと古いけれど、
三波春夫のような、
浪花節で鍛えられた、
張りのある声だ。
今でいえば、
玉置浩二が、
サビのところで張り上げるような、
伸びのある声だ。
その店長たちの声は、
私には心地良い。
プロの声だ。
昔むかしの物売りの声。
いまではもう、
落語家が演じる物売りの声くらいしか、
聞くことはできない。
しかしその物売りの声も、
日々、繰り返し顧客に呼びかけることで、
張りと伸びをもっていた。
私も講演の時、
興奮してくると、
声を張り上げる。
わかってほしい。
理解してほしい。
そして実行してほしい。
成果を上げてほしい。
「君たちならば、できる」
そんな思いが、
大きな声になって、
出てくる。
30年前にグランドで、
子どもたちに向けていた思いと、
それはとても似ている。
声を張り上げることは、
思いをつたえることだ。
ありがとう。
心から。
〈結城義晴〉