秋分の日の台風15号と宮沢賢治の「マヂエル様への祈り」
秋分の日。
三連休。
「祝日法」の定義では、
「祖先をうやまい、
なくなった人々をしのぶ。」
秋分の日は、
秋の彼岸の中日である。
秋分の日のイメージは、
私の場合、「快晴」である。
行楽の秋、
食欲の秋。
それなのに、またまた台風。
15号。
三連休の人々の出足を止めた。
観光業やサービス業は、
打撃を受けた。
小売業も痛手を受ける。
しかし事前の台風情報によって、
台風が直撃する前に、
駆け込み需要が生まれる。
台風14号のときには、
コンビニエンスストアに特需が生まれた。
スーパーマーケットも、
それで直撃の落ち込みが相殺された。
敬老の日を含んだ先週の三連休は、
予報官が「見たことのない」台風14号が来た。
関西地区では事前駆け込み需要が生まれた。
そのうえ台風の直撃がなかったから、
予想を超えた売上げがやってきた。
私はウェザーMDに関して言い続けている。
顧客は天候そのものよりも、
「天気予報」に合わせて、
購買行動を変化させる。
台風14号のときには、
それが顕著になって、
駆け込み需要と本需要とが得られた。
この15号は、
三連休直撃だ。
最後の日曜日には、
15号は太平洋上に去って、
温帯低気圧に変わりそうだ。
それでも線状降水帯が発生して、
各地で大雨が降っている。
お見舞い申し上げたい。
それにしても、
ウクライナ戦線。
ロシアのプーチンは、
大統領令を発動して、
軍務経験などのある、
30万人の予備役を動員する。
追い詰められている。
これに対して、
ロシア全土38都市で抗議デモが起こって、
およそ1400人の市民が拘束された。
ロシア国内からも、
少しずつ「戦争反対」の声が上がり始めた。
「河北春秋」
東北の地方新聞「河北新報」の巻頭言。
水曜日の9月21日。
哲学者の谷川徹三を取り上げた。
1895年生まれ、1989年逝去。
詩人谷川俊太郎は、
その長男だ。
法政大学総長などを務めた徹三は、
宮沢賢治に深く傾倒した。
賢治は1896年に生まれ、
1933年に没した。
つまり二人はほぼ同世代である。
さらに谷川徹三の命日が9月27日で、
宮澤賢治の賢治忌が21日だ。
この秋の彼岸のあたりの時期に、
ふたりの命日が重なる。
戦前の1931年に賢治は、
岩手県の東北砕石工場に技師として招かれ、
石灰肥料の品質向上や販売に奔走した。
同年9月、東京出張で倒れる。
郷里の花巻の病床で11月、
『雨ニモマケズ』を書き留める。
谷川徹三はこれを「最高の詩」と称賛した。
コラム。
「賢治は世界全体の幸福を念願し、
生涯をささげた。」
賢治の童話のひとつ。
『烏(カラス)の北斗七星』
(青空文庫で誰でも読むことができる)
賢治はカラスの群れを、
何十羽という大艦隊に見立てる。
その艦隊の一つを統率する「烏の大尉」。
強敵の山烏との間に戦闘が起こる。
敵を討った大尉は少佐に昇格する。
しかし新しい烏の少佐は、
「マヂエル様」と呼ぶ北斗七星に祈る。
「あゝ、マヂエル様、
どうか
憎むことのできない敵を
殺さないでいゝやうに
早くこの世界が
なりますやうに、
そのためならば、
わたくしのからだなどは、
何べん引き裂かれても
かまひません」
憎むことのできない敵を、
殺さないでいいような世界が、
訪れますように。
1924年に宮沢賢治が祈った。
その祈りは100年後の今も、
ウクライナとロシアに向けられている。
ウクライナ人にとっても、
ロシア人にとっても、
互いに憎むことのできない敵である。
18~60歳のウクライナ人男性は、
国外に出られず、
いわば総動員の形だ。
ロシア人は職業軍人以外の、
予備役が30万人も動員される。
100年経っても、
プーチンに象徴される人間の欲望は、
消えることがないのだろうか。
私たちもマヂエル様に、
祈らねばならない。
〈結城義晴〉