ドラッカー「フィードバック分析」と金子兜太「肉体年齢」
松の内の間は、年賀状でご挨拶。
1月7日の七草までを「松の内」という。
正月には「年神」という神様がやって来る。
「年神」は日本神話に記されている神。
すなわち「神道」の神である。
家々に新年の幸せをもたらすために、
正月元旦に高い山から神様が降りてくる。
それが「年神様」だ。
「正月様」「歳徳神(としとくじん)」などと呼ばれる。
その年神の神霊は、
「依り代」(よりしろ)に宿る。
この神霊が依(よ)り憑(つ)く対象物を、
依り代という。
神木などがその依り代の例だ。
古代神道では、
あらゆる物に神霊が宿ると考えられた。
自然崇拝である。
「古事記」や「日本書紀」の人格神は、
中が空洞の物体に依り憑くことが多いとされる。
だから年神を迎えるために、
家々の門前には門松が設えられるが、
門松には竹が使われる。
依り代である門松を飾っておく期間を、
「松の内」という。
そして「松の内」には、
年神様が滞在している。
寒中見舞いを出すのは、
松が明けてからとされている。
さて、松の内でも、
生活は日常に戻っていく。
この年明けの日常に戻るとき、
なんとなく好きだな。
まったくの日常でもないし、
かといって正月気分でもないし。
まだ今年への期待を抱きつつ、
「さあ、やるぞ」といった気持ちもある。
ドラッカーが奨めた、
「フィードバック分析」は、
この松の内の時期にやるのがいい。
「強みを知る方法は一つしかない。
フィードバック分析である」
「何かをすることに決めたならば、
何を期待するかをただちに
書きとめておく」
「9カ月後、1年後に、
その期待と実際の結果を照合する」
「私自身、これを50年続けている。
そのたびに驚かされている」
「これを行うならば誰もが、
同じように驚かされる」
『プロフェッショナルの条件』
ドラッカーのセルフマネジメント手法である。
「書きとめておく」
そして時間が経過したら、
期待と結果を照合する。
期待と結果が一致していることこそ、
自らの「強み」である。
期待と結果が一定期間を経て、
一致していないことは、
「強み」ではない。
そこで「強み」に「全集中」をする。
すると成果は飛躍的に大きくなる。
「行なっても成果があげられないことは
行なわない」
「努力しても並みにしかなれない分野には
無駄な時間を使わない」
「強み」を知る方法が、
フィードバック分析である。
ドラッカーは書いている。
「自らについて知りうることの中で
この強みこそ最も大切だ」
松の内は、
自分の強みを知る、きっかけとなる期間だ。
ぜひ、試してほしい。
私もフィードバック分析を繰り返している。
中日新聞の巻頭コラム「中日春秋」
1月3日のコラム。
「雑煮食ぶ暦年齢は虚なり」
金子兜太の87歳の正月の句。
「その年齢はウソだと決め込んでいる」
本当の年齢に対する金子の持論は、
「女性の場合は実際の年齢の七掛けとし、
男性の場合は八掛けとする」
金子はこれを「肉体年齢」と呼んで、
「その年齢を信じて元気に暮らそうよ」と語る。
金子兜太さんは2018年2月に、
98歳で逝去された。
今年40歳の男性は32歳、
女性は28歳。
このあたりの人たちは、
あまり気にしなくていいだろう。
今年50歳の男性は40歳、
女性は35歳。
今年還暦の男性は48歳。
女性は42歳。
そしわが身は56歳。
丁度いい感じだ。
この気分で1年を過ごす。
「フィードバック分析」に書きとめておこう。
〈結城義晴〉