バークレーボウル創業者グレン・ヤスダ氏、2020年2月20日の逝去
今年は3年ぶりにアメリカを訪れた。
1月27日から2月11日までの16日間だった。
大きな収穫があった。
しかしこのCOVID-19パンデミックの間に、
亡くなった人がいたことを知った。
それも小売業の創業者。
このニュースは、
商人舎流通SuperNewsに載せた。
トレーダー・ジョーnews|
創業者ジョー・コローム氏(89歳)逝去
トレーダー・ジョーの創業者。
このブログでも書いた。
GEのジャック・ウェルチと
TJのジョー・コロームの訃報
1958年5月にトレーダー・ジョーを創業。
店名は自分の名前の「ジョー」。
コロームさんが考えた最初の店。
そのターゲット顧客。
“Over educated, and under paid”
高すぎる教育を受けたが、
低すぎる給与に甘んじている人たち。
このユニークなセグメンテーションと、
ターゲティング。
それに合わせたポジショニングが、
トレーダー・ジョーの本質である。
もうおひとりは、
グレン・ヤスダさん。
2020年2月20日に85歳でご逝去。
バークレーボウルの創業者。
1977年、妻のダイアン・ヤスダさんと、
バークレー市のボウリング場跡地で、
最初の商売を始めた。
だから店名を「Berkeley Bowl」とした。
Bowlはbowling(ボーリング)のBowlだ。
その前は、大学で教鞭をとっていた。
開業してすぐに、
ニューヨーク・タイムズやロサンゼルス・タイムズが、
ヤスダさんの仕事ぶりや、
店の美しさ、凄さを報じていた。
1999 年に同市のセーフウェイが撤退した。
ヤスダさんはその店に移転し、
居抜きで入居した。
売場面積は2万平方フィート(約563坪)。
この店が繁盛を極めた。
週末には近隣の道路が渋滞に次ぐ渋滞。
バークレー市長はヤスダさんに懇願した。
「なんとか渋滞を解消できませんか」
そして市の西側に新たな土地を用意してくれた。
ヤスダさんはそこに2号店を開くことにした。
バークレーボウル・ウェストは、
2009 年にオープンした。
こちらは3万平方フィート(843坪)ほど。
2008 年、ロサンゼルスタイムズが報じた。
ヤスダさんが74歳の時。
「Mrヤスダは週に 5 日間、
午前 3 時前に起きて仕事を始める」
私は2011年の2月に訪れた。
そしてたっぷりと話を聞いた。
オープン2年ほどで、
ヤスダさんも元気だった。
写真を見せてもらった。
売場を案内してもらった。
当時、㈱阪食社長の千野和利さんも一緒だった。
2号店2階のセントラルキッチンも見せてもらった。
成城石井のセンターと同じ、
「大きな台所」だった。
ここからおいしいくて、
つくりたての惣菜が売場に出された。
最後にみんなで写真を撮った。
エブリイの故岡崎雅廣さんもいた。
ハローデイの加治敬通さんも、
サンシャインチェーン本部の川崎博道さんも。
もちろん千野さんも。
私はヤスダさんと握手している。
そのヤスダさんは、
ロサンゼルスタイムズの質問に答えた。
「どのグロサリーストアもいい店です。
私たちも同じことをやっているだけです」
あくまでも真摯で謙虚なヤスダさんだった。
しかし「同じこと」を、
朝、3時から起きて、
徹底的に貫徹する。
それがバークレーボウルをつくった。
ヤスダさんの商売の手法は、
「選別値入れ」である。
東京・神田市場で生まれた、
伝統の商売の極意。
私はそれに驚いた。
現在も2店舗のままで業容は変わらない。
両店で160億円ほどを売り上げる。
現在は、ゲン・ヤスダさんが跡を継いでいる。
44歳でヤスダさんご夫妻の長男である。
グレンさんが亡くなっても、
そしてCOVID-19パンデミックの間も、
バークレーボウルの力は衰えることがなかった。
私はとても安心した。
グレン・ヤスダさん。
Integrityという言葉がとても似あう人だった。
心から、ご冥福を祈りたい。
合掌。
〈結城義晴〉