亀岡の桜と「徒然草」の「懈怠の心あることを知らんや」
㈱マツモト会長の松本隆文さんから、
また桜の写真をお送りいただきました。
毎朝の散歩コースが、
この桜満開のルートだそうです。
夜桜も見事。
黒い空に映える。
大きな一本桜。
来年はこのシーズンに、
亀岡に行かなくてはならない。
是非とも。
ありがとうございました。
今日も1日、横浜商人舎オフィス。
原稿の入稿。
山本恭広編集長、
亀谷しづえゼネラルマネジャー。
みんなで執筆する。
それを読んでチェックし、
入稿する。
今月もいい雑誌ができそうです。
他に類を見ないMagazine。
それを目指しています。
もちろん実現していると自負しています。
毎月、雑誌をつくることによって、
否応なくモノを考える。
懈怠(けたい)の心を払いのけつつ。
それが価値を生み出す。
今日もとてもいいことを考えついた。
食事の時などにそれを社内で話す。
話しながら、
コミュニケーションをとりながら、
考えを固めていく。
そしてそれを文章に表現する。
それが私たちの仕事です。
最近ちょくちょく拾い読みする「徒然草」。
その有名な第92段。
ある人、弓射ることを習ふに、
諸矢をたばさみて的に向かふ。
――ある人が、弓を射ることを習うときに、
二本の矢を手に挟み持って的に向かう。
師のいはく、
「初心の人、
二つの矢を持つことなかれ。
のちの矢を頼みて、
初めの矢になほざりの心あり。
毎度ただ得失なく、
この一矢に定むべしと思へ」と言ふ。
――師の言うことには、
「初心者は二本の矢を持ってはいけない。
あとの矢をあてにして、
初めの矢をいい加減に思う気持ちが生まれる。
矢を射るたびに得失を考えずに、
この一本の矢で必ず的を射抜こうと思え」と言う。
わづかに二つの矢、
師の前にて一つを
おろかにせんと思はんや。
――たった二本の矢しかないのに、
師の前で一本を
いい加減に放とうなどと思うだろうか。
懈怠(けたい)の心、
自ら知らずといへども、
師これを知る。
この戒め、
万事にわたるべし。
――それでも怠けおこたる心は、
自分では意識しないうちに生れるもので、
師はこれをわかっている。
この戒めは、
全てのことに通じるものだ。
道を学する人、
夕べには朝あらんことを思ひ、
朝には夕あらんことを思ひて、
重ねてねんごろに修せんことを期す。
――道を学ぶ人、仕事を極めようとする人は、
夕方には翌朝のあることを思い、
朝には夕方があることを思って、
もう一度丁寧にやり直せばよいと先延ばしにしてしまう。
いはんや一刹那のうちにおいて、
懈怠の心あることを知らんや。
なんぞ、ただ今の一念において、
ただちにすることのはなはだ難き。
――まして一瞬のうちに、
怠けおこたる心が生まれることなど知っているだろうか。
この、今の一瞬のうちに、
すぐに実行することのなんと難しいことか。
兼好法師が690年も前に、
日々考え、記したことが、
今日の私たちに当てはまる。
ありがたい。
〈結城義晴〉