佐藤肇「日本の流通機構」と佐藤清詩集の「望郷」
今日も1日、
横浜商人舎オフィス。
一人で出社して、
一人で珈琲を淹れて、
一人で原稿を書く。
このところずっと、
土曜日と日曜日は、
原稿執筆に集中する。
意義のある仕事をしたい。
そればかりを考えている。
デスクの横の壁にメモを書いて、
それを備忘録のひとつにしている。
今、調べている本の一冊が、
佐藤肇著『日本の流通機構』
(有斐閣大学双書)
林周二『流通革命』と並ぶ、
名著のひとつである。
「流通革命」に対して、
実に的確な批判をしている。
私も賛同するものだ。
佐藤肇さんは、
堤清二さんから乞われて、
西武百貨店と初期の西友ストアーで、
取締役を務めた。
その後、流通問題研究所の初代所長となった。
流通研究の巨匠だ。
素晴らしい書物だが、
あとがきに一篇の詩が掲載されている。
感動した。
詩の前に文章がある。
「私はこの機会をかりて,幼き日の私に,
生活と仕事にたいしては誠実と情熱を,
学間と芸術にたいしては畏敬と憧憬を,
深い愛をもって教えくれた
いまは亡き父への感謝の意を
表させていただきたい」
「私はちょうど1年前の早春のある日,
教室に入る前のひととき,
キャンパスの池のほとりの大木のもとに
枯草をしいて坐り,澄みわたる蒼空を仰いだとき,
ふと目にあついものがたまるのを
覚えたことがある」
「それが何を意味するかを私は知らない。
しかし,そのとき私は,
いまから50年以上も昔,
若き日の父が異国にあって
わが国を想ってうたった詩の声が
思いがけなく心のなかに
響いてくるのをきいたのである」
「そこで,ゆるされるならば,
その一篇をここに写させていただきたい。
私は詩人ではまったくないが,
この詩心に通うものが,
やはり私の心の奥の奥にもあって,
それは戦後の激動するわが国に生きながらえて
ひとつの問題と取り組んできた私を,
今日つき動かしてきたものででも
あったからである」
望郷
わがくにはみづきよきくに,
わがくにはやまたかきくに,
わがくにはあらしふくくに,
わがくには陽(ひ)のおほきくに。
そらあをくけむりたなびき,
野のくさのかをりよきくに,
なつかしきすあしにて,
つゆをふむさわやけきくに。
もろ手よりわれにしたしく,
いきよりもわれにしたしき,
わがかたることばをかたる
うつくしきをとめらのくに。
わがくにはわがははのくに,
なつかしきいもうとのくに,
おゝ,たぐひなくうつくしき,
わがたましひのこひびとのくに。
わがくにはわがゆめのため,
わがいのちささぐべきくに。
わがゆめをわがいのちもて,
現実にかへすべきくに。
(佐藤清第二詩集『愛と音楽』1919年より)
自分の原稿を書きつつ、
心から感動した。
野暮な蛇足だが、
平仮名を漢字に変えて、
現代仮名づかいにした。
「望郷」
わが国は水清き国,
わが国は山高き国,
わが国は嵐吹く国,
わが国は陽の多き国。
空青く煙たなびき,
野の草の香りよき国,
懐かしき素足にて,
露を踏むさわやけき国。
もろ手よりわれに親しく,
息よりもわれに親しき,
わが語る言葉を語る
美しき乙女らの国。
わが国はわが母の国,
懐かしき妹の国,
おゝ, 類なく美しき,
わが魂の恋人の国。
わが国はわが夢のため,
わが命捧ぐべき国。
わが夢をわが命もて,
現実に返すべき国。
佐藤肇さんにもあった詩心、
その流通分析とともに、
強く響くものだ。
私も、近づきたい。
ありがとうございました。
〈結城義晴〉