シマウマ模様の「シマウシ」と夏目漱石の「集注点」
ちょっと暑さは緩くなった。
七十二候(しちじゅうにこう)は、
二十四節気をさらに5日ずつの3つに分けた期間。
これも古代中国で考案された。
今は寒蝉鳴(ひぐらしなく)。
記録的な暑さが続くけれど、
そういえばヒグラシが鳴いている。
蚊や虻(あぶ)、蚋(ぶよ)の話。
「蚊帳のなかは暑苦しい」
物理学者の寺田寅彦がエッセーで不満を言った。
「しかし蚊に責められるのは
それ以上に嫌いだから仕方なしに
毎晩此(こ)のいやな蚊帳へもぐり込んで
我慢して居る」
私の子どものころは蚊帳があった。
ちょっと大きくなってからも、
田舎の親戚の家などに泊まると、
夏には蚊帳を吊ってくれた。
今はクーラーを利かせて窓を閉めて寝る。
コラムニストは想像する。
「屋外の動物はどうしているのだろう」
山形県の置賜(おきたま)総合支庁の実験。
「放牧している黒い和牛を
シマウマのような柄に塗ったところ、
尻尾や頭を振って虫を追い払うしぐさが
激減したそうだ」
〈置賜総合支庁提供〉
愛知県などで先行例があった。
それを参考に半信半疑でやってみた。
そうしたら「本当に虫が来なくて」
コラム。
「シマウマの模様は敵の目をくらませるため」
私も聞いたことがある。
「だが虫刺され防止の効果があったとは」
面白い。
朝日新聞の今年2月8日の記事。
牛のストレスが減ることで繁殖力が向上する。
他の牛からのいじめもなかった。
置賜総合支庁農業振興課の担当者。
「牛に虫がたかる様子をかわいそうに感じ、
放牧をためらう生産者もいる」
「シマウマ模様の『シマウシ』にすることで、
ゆっくりと食事や休息ができ、
健康な牛に育つことが期待できる」
放牧は餌代が削減できる。
その放牧の拡大にいかされる。
一方、寺田寅彦。
「さしたることではないと
見過ごされがちな現象に疑問を抱き、
真理を探る」
寺田の師、夏目漱石の句。
落ちさまに虻を伏せたる椿哉(かな)
漱石は凄い瞬間を観察していた。
寺田はこの句をきっかけとして、
落下運動に関する論文をまとめた。
そして書いている。
「科学者は”のみ込みの悪い”人物でなければならない」
コラムニスト。
「虫とシマ模様。
実験のことを聞いたら、
さぞ喜んだに違いない」
このコラムを読んだ俳人の杉田菜さん。
寺田寅彦の『夏目漱石先生の追憶』から引用する。
「俳句はレトリックの煎じ詰めたものである」
「扇のかなめのような集注点を指摘し描写して、
それから放散する連想の世界を
暗示するものである」
さらに漱石は寅彦に教授する。
「花が散って雪のようだといったような、
常套な描写を月並みという」
「秋風や白木の弓につる張らん
といったような句は佳い句である」
「いくらやっても俳句のできない性質の人があるし、
始めからうまい人もある」
漱石の言葉をきっかけに、
寺田寅彦は俳句に傾倒する。
扇のかなめのような集注点を指摘し描写し、
それから放散する連想の世界を暗示する。
椿の句はまさにそれだ。
シマウシの縞も、
扇のかなめのような集注点だろう。
商売や仕事の集注点を見つけ出し、
指摘し、発言して、
改善を先導するのが、
腕の立つ「知識商人」である。
〈結城義晴〉
2 件のコメント
「科学者は”のみ込みの悪い”人物でなければならない」は理解できます。かつて、ある敬愛する先輩から、小利口なのは最悪だと聞いたことがあります。
一方、「扇のかなめのような集注点」というのは、なかなか難解な概念ですね。
吉本さん、ありがとうございます。
目から鼻へ抜ける、という人は、
研究者や科学者には向いていません。
最近は経営やマーケティングの学者に、
このタイプの人は多いようですが。
扇のかなめのような集注点は、
俳句で考えるとわかりやすいかもしれません。