セブン&アイの「愛ではなく、金に生きる人は病む人である」
11月4日。
「文化の日」の振り替え休日。
毎日新聞「余録」が取り上げた。
「戦争は人の心の中で生まれるものであるから、
人の心の中に平和のとりでを築かなければならない」
憲章の前文の一節。
設立は第二次世界大戦終結の翌年、1946年。
前文の草案を書いたのは、
米国の詩人アーチボルド・マクリーシュ。
戦場には世界遺産も多い。
ウクライナ南部オデッサの歴史地区、
ガザの聖ヒラリオン修道院。
ユネスコはこれらを「危機遺産」に登録して、
保護を呼び掛けた。
マクリーシュ。
「愛ではなく
憎しみによって生きる人は
病む人である」
コラムニスト。
「胸に手を当て自らに問いたい。
異なる意見に耳を傾け、
心に平和のとりでを築けているだろうかと」
さて日経新聞「経営の視点」
田中陽編集委員が指摘する。
「セブン&アイ、主体性はどこに」
カナダのアリマンタシォン・クシュタール(ACT)が、
1株14.86ドルで買収提案をした。
それを受けたセブン&アイ・ホールディングス。
「著しく過小評価している」
極めて厳しい表現で拒否した。
田中さん。
「セブン&アイは、
ACT社が待ち構えるリングに自ら上がり、
ファイティングポーズをとった」
クシュタールは、
「待ってましたとばかりに
価格を18.19ドルに引き上げて再提案した」
M&Aを巡り、経済産業省は昨年、
「企業買収における行動指針」を公表し、
当事者にベストプラクティスの提示を求めた。
最終的な落としどころは誰もが納得する株価に違いない。
セブン&アイは、
独立社外取締役を長とする特別委員会を設置し、
慎重かつ網羅的に検討した。
「セブン&アイの現体制は、
2016年の経営の混乱により生まれた」
鈴木敏文会長の退陣である。
それが意思決定の頭脳の喪失になったと、
私は思う。
そして内外の有識者からなる社外取締役たちが、
代わりに頭脳の役割を担った。
その結果、
「投資家などとの真摯な対話を通じ、
価値創造に取り組む姿勢を示し続ける」
結果はどうか。
「経営効率の悪さを、
ファンドなどから鋭く突かれるや、
社外取締役からの”ご託宣”もあり、
不採算事業の切り離しなど
模範演技のような善後策を連打した」
「だが、労働集約的で
地域経済とも密接な小売業は
教科書以前に
相手の気持ちを解きほぐす必要もあり、
対応を怠って社会問題化することもあった」
「主体性が乏しい優等生になった結果、
いつしか革新性や経営のスピード感が薄まった」
同感だ。
「頼みの日米コンビニ事業は
変化に対応できず変調をきたし始めている」
「著しく過小評価」の表現は、
「早々に買収の焦点を株価にしてしまった」
その通りだ。
相手の土俵に乗ってしまった。
「1日終値でドル換算した足元の株価は14.21ドルで
当初の買収価格にも及んでいない。皮肉だ」
ここからが田中さんの見解。
「そもそも、回答では、
コンビニ経営の質が違うことを訴える案もあるはずだ」
その通りだ。
「両社は母国市場での成長過程が全く異なる」
「M&Aが軸で直営店を中心に
ガソリンやたばこが有力商材のACT社。
フランチャイズ契約の店を積み上げ、
弁当やおにぎりなど食品が主力のセブン-イレブン」
「セブンは中小商店の店主が
コンビニの可能性に賭けて成長してきた業態だ」
「共存共栄を図る商人の集団。
企業価値の源泉はそこにある」
まさにその通り。同感だ。
「株価の議論よりも、
社風、理念を擦り合わせるリングに
誘い込むべきではなかったか」
「そんな機微を高名な社外取締役は
どこまで理解しているだろうか」
「具体的には書かれていないが、
回答で『本源的価値』の文言があったのは救いだ」
「もう結果を伴わない
模範演技・回答はいらない」
日経新聞らしい、筋の通った論調だ。
商人の論理と株価の議論。
会社は株主のためだけにあるのではない。
顧客のためであり、従業員のためであり、
フランチャイズならば加盟店のためでもある。
今、求められているのは、
セブン&アイが依って立つものを、
思い起こし、強く自覚することだ。
まだまだ遅くはないと思う。
「アイではなく、
金によって生きる人は、
病む人である」
〈結城義晴〉