お盆中日と終戦の日、一瞬と永遠を考える
昨日今日と盆中日。
そして今日15日は、
64回目の終戦記念日。
お盆と終戦の日が同じ日であること。
関係ないわけがない。
糸井重里も伊集院静も、
同じようなことを言っている。
私も、そう思う。
お盆は祖先の霊を祀る行事。
だから都会に移り住んだ人は帰省して、
墓参りなどする。
終戦記念日には、戦没者を慰霊する。
だから小泉純一郎も安倍晋三も野田聖子も、
靖国に参拝する。
このお盆と終戦記念日が、
同時にやってくる。
もちろん、お盆が先にあった。
西暦606年から。
太平洋戦争が終わったのは1945年。
戦争を終わらせざるを得ないと考えたとき、
それをお盆の中日にした。
よく、わかる。
決めた人のその気分。
戦争は終わっても、
先祖代々の日本人は終わらない。
日本は終わらない。
そんな永続性を引き継ぎつつ、
終戦するには、8月15日、お盆の中日は、
最適だった。
戦況がもっと早く最悪な状態になっていれば、
7月15日が終戦の日となって、
お盆も、日本中で、
7月15日を主体にするようになったかもしれない。
しかし、そんな人智を超えた関係が、
お盆と終戦の日にはあるような気がする。
この終戦の日、
私は、単純に「平和」を、
感謝したり、祈願したり、
戦争を反省したり、悔やんだりするだけでは、
足りないと思う。
なんというか、もっともっと、
長い長い、時空を感じる日だと思う。
まど・みちおさんが、
『いわずにおれない』(集英社文庫)のなかで、言う。
かずは 一から はじまって
いくつまで つづくのだろう
たしかめたく なるのは
だれにも たしかめられないからか
今日8月15日は、そんな日だ。
ぼくには かずが
じぶんで じぶんを
かぞえているように おもわれる
うちゅうが はじまった その日に
一から かぞえはじめて
いまでも ずうっと
まだ まだ これからだと おもって
まど・みちおさんの、この思い。
終戦の日とお盆が重なる今日を、
「いつまでも ずうっと
まだ まだ これからだと おもって」
過ごす日にしたい。
だれも いない
なんにも ない
うちゅうの まん中に すわって
なんで そうせずにはいられないかを
ひとり かんがえつづけながら…
欧米人の夏のバカンスには、
絶対にないだろう今日の日本。
日本の1年のなかのピークが、
この8月15日。
そして今日は、永遠を考える日。
お盆商戦に忙しい人も、
一瞬でもいい、
仕事の手を休めて、
その一瞬と永遠とを、
考えてほしい。
まど・みちおさんの「かずをかぞえる」こと。
知識商人の「しごとをする」こと。
これらはまったくの同義である。
考える。
思う。
今日を、
そんな日に、
したい。
<結城義晴>
2 件のコメント
こんにちは(*^_^*)
(昨日)早朝の電車に、
小学生くらいの男の子とお祖父さんの笑顔を見たら、
何とも言えないキモチになりました。
今、生きている事実に感謝ですね。
ナンバさん、ありがとう。
お祖父さんと孫。
掛け値なしにいい光景ですね。
互いに思いやりがあって、
いたわりあっていて。
ちょっとだけ距離があって。
むしろ親子よりも、良かったりします。
人間同士も、こんな関係でいたいものです。