アークス社長にして日本セルフサービス協会会長の横山清さんに見た21世紀新商人像
疲れ果てていた。
昨夜は、午前3時半頃まで、
横浜の商人舎オフィスでテキストづくり。
疲れ果てていたら、
杉浦大西洋さんから、
ハガキが届いた。
元気が出てきた。
ありがとう。
杉浦さんは、今週火曜日、
「2人のビッグセミナー」に参加して、
いちばん前の席で勉強していた。
豊橋市に「一期家一笑」(いちごやいちえ)というお店がある。
「超ローカルスーパーなマーケット」と名刺にある。
杉浦さんは、そのデザイン部門チーフ兼総合バイヤー。
学びの姿勢がいい。
どんどん伸びてほしい人だ。
さて今日は、朝、9時過ぎから、東京の神田へ。
社団法人日本セルフ・サービス協会。
会長の横山清さんのインタビュー。
ご存知、㈱アークス社長。
商人舎と商人ねっとの共同企画。
CDオーディオセミナー「知識商人登場」。
第20回目の節目のゲストが、横山さん。
横山さんは、1935年(昭和10年)、
北海道芦別生まれの75歳。
家は鍛冶屋だった。
高校を卒業して、炭鉱夫になった。
そして2年後、北海道大学水産学部に入学。
この北大時代が横山さんの人生を決めた。
北大卒業後、商社に入社。
そこから出向して、ダイマルスーパーの営業部長へ。
ここから商人の道が始まる。
毎日毎日、仕事仕事。
伊丹十三映画『スーパーの女』そのものの時代を経験。
30歳でその小さなスーパーマーケットの常務、
34歳で代表取締役専務。
それから20年、1984年に年商100億円を達成するが、
この間は長かった。
100億円突破の翌年、社長就任。
1989年、㈱ラルズと社名変更し、
1990年300億円突破。
失礼な言い方かもしれないが、
ラルズは「遅れてきたスーパーマーケット企業」だった。
「周回遅れ」と横山さんは表現するが、
ヤオコーやエコスなども、周回遅れの企業。
現在、そういった企業が元気だから商業は面白い。
2000年には「八ヶ岳連峰経営」を標榜し、
2002年にはホールディングカンパニーのアークスを設立。
現在、アークスは北海道第一の3000億円企業として、
クリティカルマスを達成し、勢いが止まらない。
横山さんご自身、
2007年には藍綬褒章を受賞。
昨年は、全国スーパーマーケット協会と日本セルフ・サービス協会が合併し、
新しい協会の会長として、
業界を引っ張る。
その横山さんとの対談。
2時間近くを一気呵成。
私は、横山さんは、どうも、
「商人」という概念には当てはまらないと見ていたが、
それは鉱業や水産業を経験し、
さらに農畜産業をも経験して、
商業を客観的に見据えているからだった。
これまでのスーパーマーケット業界には、
二つの論理があった。
「商人の論理」と「チェーンストアの論理」
私を含めて、この論理の枠に中に、
考え方を押し込めようとするきらいがあった。
20世紀的な観点である。
横山さんは、そこから突き抜けていた。
21世紀的な視点をもっていた。
横山さんの中にあるのは、
「人間」である。
「人間の集団」である。
それがアークスの八ヶ岳連峰経営となり、
日本セルフ・サービス協会の未来戦略となった。
アークスは北海道の「クリティカルマス」を形成し、
協会は「スーパーマーケット業界の戸籍を確立する」。
日本標準産業分類に戸籍のない業界。
アークスという企業群の事業展開が、
そのまま戸籍を獲得する行動につながる。
セル協の活動は、戸籍を確立することに直結している。
私は、横山さんに「新商人」の姿を見ていた。
20世紀の殻を脱ぎ捨てた21世紀の「新商人」は、
鉱業も水産業も農畜産業をも体で理解した産業人である。
それが、横山清である。
私は、今回の対談で、
ずっと聞き役に回っていた。
観察者に徹していた。
観察者・結城義晴の結論が、それである。
CDのカバー写真撮影のために、
協会事務局の仕事場へ。
見てください、この笑顔。
ワイワイガヤガヤの中の協会会長。
それが横山さんのご所望。
それが横山さんに似合っている。
私も並んで、ワイワイガヤガヤの中で写真。
疲れ果てていた私は、
元気いっぱいの横山さんから、
元気をいただいた。
30代(多分)の杉浦さんと70代の横山さん。
お二人に元気をもらった結城義晴50代。
ちょうど真ん中。
頑張ります。
<結城義晴>