五木寛之記念講演のオクシモロン「慈悲の柔らかい心と現代化」
秋晴れの金曜日。
朝から埼玉県の飯能市へ。
東京郊外でも、
ちょいと田舎の雰囲気を残すところ。
流通仙人・杉山昭次郎先生。
その奥様の杉山英子さんに、
会ってきた。
帰りは飯能から横浜まで直結していて、
西武線・副都心線・東横線の一気通貫で、
1時間29分。
驚くべき時間短縮。
恐るべき便利性。
詳細報告はまた。
さて、一昨日の報告。
全日食チェーン躍進大会。
その第1部記念講演は、
作家の五木寛之さん。
「こんにちは
五木寛之です。
のこのこ出てまいりました」
第一声が、これ。
超一流の人気作家にしては、
至って謙虚。
もう満81歳。
昭和7年生まれ。
「馬齢を重ねてきた」
これまた謙虚。
「私は、困難な時期に生まれた。
昭和7年生まれは、申年で、
一言でいえば、せこい。
電車にのっても、
走っていって席をとったりする」
「石原慎太郎さんの誕生日が、
昭和7年9月30日。
何故覚えているかといえば、
私と誕生日が一緒だから」
それ以外にも、
大島渚、小田実、
そして三浦雄一郎。
簡単な自己紹介で笑いをとったあと、
五木さんは「超高齢化社会の到来」から、
語り始めた。
私は学生の頃、
『蒼ざめた馬を見よ』から始めて、
「五木」を読み漁った。
「いちばん地味だが確実な調査は、
人口動態調査だといわれます」
現在、100歳以上が4万9000人。
小泉純一郎元総理ならば、
「百歳以上がごまんといる」と、
笑わせる。
「5年先、10年先も大事だが、
ただいまの足元をみよう。
それが私の関心事です」
ピーター・ドラッカーは言う。
「明日のために必要な今日を残せ」
「この年齢になってつくづく感じることは、
人生の設計についてです」
インド人は人生を4つに分けて考える。
①学生期(がくしょうき)
②家住期(かじゅうき)
③林住期(りんじゅうき)
④遊行期(ゆぎょうき)
中国人も4つに分ける。
①青春 20歳ころまで
②朱夏 40歳ころまで
③白秋 60歳ころまで
④玄冬 80歳ころまで
今、日本では、
白秋から玄冬の人々が多い。
「青春をどう生きるか。
朱夏、白秋、玄冬をどう生きるか。
それぞれの生き方がある」
ここで、五木さんは、
「当用漢字の改定」に、
話題を変える。
2010年に常用漢字として、
削除と追加が行われた。
追加された漢字には、
鬱なものが多い。
五木さんは、暗然とした。
「心の問題がこれほど、
クローズアップされた時代はない」
京セラを創業した稲盛和夫さん、
昭和7年生まれの同い年。
対談をした。
そこで語られたのは、
「人間の心の問題」。
自己啓発、自己修養、人格の形成。
「心の問題が経営と直結している。
フィジカルな問題と
スピリチュアルな問題が、
マネジメントのなかで
重なってきている」
免疫学者の多田富雄さん。
免疫の意味を確立したひと。
免疫とは、
人間の身体のなかに異分子が入ってくると、
それを排除する働きである。
一端、その排除の機能が働くと、
以後、それに対応するシステムができあがる。
免疫で大事なのは、
「自己と非自己を区別する」こと。
そしてその際、
自己がはっきりしていなければ、
非自己を見分けることができない。
結城義晴のポジショニング戦略も、
ここからスタートします。
この点は、
模倣から始まるものではありません。
「我とは何か」
「自己の確立」
これが免疫の第一歩である。
免疫は異分子を受け入れる。
ドイツで「ネオナチ」が台頭した。
その論拠は「免疫の摂理」からすると、
おかしい。
他者を排除する論理だからだ。
なによりも、
母体のなかの赤ちゃんは異物だ。
生命は異物との共生から始まる。
現代は、
科学と哲学、思想、文学などが、
一体となってくる。
感情や情が、
経済でも問題となる。
商人舎の「現代化」の条件には、
双方向、両性、一体化が含まれる。
「情」を万葉集では「こころ」と言い表す。
「情報」は「情」を「報」じること。
心のコミュニケーションである。
情は戦後、
軽蔑されてきた。
濡れて、べとべとして、
情けないものだと。
しかし現在、
心理学、宗教を超えて、
プラグマティックな問題となってきた。
常用漢字に加えられた「鬱」も、
時代の要求を表わすものだ。
アメリカはベトナム戦争の10年間で、
6万2000人の市民を失った。
一方、日本はいま、2年間で、
自殺者6万数千人。
年間3万人をきったと言われるが、
実際は5万人を下らない。
彼らは現代の戦死者である。
「鬱」を嫌なものと考えているのでは
いつまでたっても、
「鬱」から逃げることはできない。
人間の根源の問題として、
「鬱」は必要なのではないか。
五木さんはそう考える。
仏教は「慈悲」の宗教だと言われる。
「慈」はヒンズー語で「マイトリー」、
「励まし」を意味する。
「悲」は「カルナ」で、
「慰め」を表わす。
「慈&悲」は中国人の造語だが、
反対の意味を重ねた言葉だ。
結城義晴がよく使う「オクシモロン」です。
京都のガイドは、
外国人に対して、
「慈悲」を〝love”と訳す。
私が子供のころ、
怪我をすると父は、
「痛くない!」と思え、と言った。
痛みは和らいだ。
母は「おお、痛い、痛い」と言ってくれた。
痛みは消えた。
「励ましてくれるな」
そんな状況が確かにある。
「励まし」がうっとうしく感じるときがある。
そんな時には、
自分も痛みを感じて、
思わずため息をつく。
それが「悲」である。
手のうえに手を重ねてくれる。
それが「悲」である。
日本語の「慈父」と「悲母」。
「痛くない!」という父の声、
「痛い痛い」という母の声。
プラス思考とマイナス思考。
両方、必要だ。
笑うことは健康にいい。
しかし大きく、明るく、元気よく、
笑うことは決してやさしくはない。
大地を拳でたたいて、
ちゃんと泣いた人だけが、
心から笑うことができる。
水を大量に使う建築工法を、
「湿式工法」という。
一方、水を使わないのを、
「乾式工法」と呼ぶ。
鬱を感じるのは、
間違ったことではない。
なぜか。
人間存在の根本に、
かかわることだからだ。
天才童謡詩人・金子みすゞ。
心に太陽を持て
あらしがふこうと
ふぶきがこようと
天には黒くも
地には争いが絶えなかろうと
いつも、心に太陽を持て
江戸後期の歌人・橘曙覧。
たのしみは
まれに魚煮て兒等(こら)皆が
うましうましといひて食ふ時
本居宣長は書いている。
「悲しむことは大切」。
人間は生きている限り、
悲しみと出会う。
悲しい時には「悲しい」と思え。
悲しみを「悲しい」と、
声にも出して言え。
「金沢の雪吊り」は、
硬い枝を釣り上げる。
硬い枝はもろいから。
柔らかい枝には、
「雪吊り」はしない。
「あーあ」とため息をつく。
柔らかい心をつくる。
それも大切なのだと思う。
五木さんの語りは、
淡々としていた。
メモもレジュメも見ず、
1時間きっかり語りきった。
パソコンのキーボードをたたきながら、
私は「現代化」について、
思いを巡らせていた。
〈結城義晴〉