島倉千代子「歌は私の会話」と上野光平の「邪魔をしないこと」
島倉千代子さん、逝く。
75歳。
新聞各紙の巻頭コラムが、
残らず回顧した。
そのことでむしろ評価が上がった。
朝日新聞『天声人語』。
「島倉千代子さんの歌」、
時代によって変わった。
まさに「人生いろいろ」。
かつては「泣き節」、
それが軽快な曲調へ。
「♪女だっていろいろ 咲き乱れるの
……という歌詞は、
自身の波乱多き人生がモデルだった」
「還暦を超えても
『いつも恋をしていたい』といっていた。
天国で新たな恋をつかまえるだろうか」。
変な終わり方のコラムだ。
毎日新聞『余録』は、
子供時代の左手の怪我をテーマにした。
「ガラスで大怪我をして何も感じなくなったその手、
乳がんの手術を受けた後、
風呂の湯の熱さを感じ取れるようになった」
「話をするのが苦手な私にとり
歌は会話だったんです」
「私の人生は常に心機一転なんですよ」
乳がん手術後の言葉。
「今、演歌歌手の王道を見事に渡り終え、
終生『お姉さん』と仰いだ
美空ひばりさんの待つ天国へ旅立った」
日経新聞の『春秋』。
「時代の哀歓を映した曲の数々が胸をよぎる。
歌をただ歌うのではなく、
どこまでも聴衆に歌いかけていく姿が
まぶたに浮かぶ。
叙情あふれる高い声が耳によみがえる」
「『東京だョおっ母さん』を歌うときのこの人には、
ものに憑かれたような迫力があった。
戦争の悲惨。戦後の痛苦。
昭和の日本人の情念を託せる歌い手が去った」
日経が一番抒情的だった。
今日の私は、
朝から東京・池袋。
立教大学。
立教の象徴・本館の蔦も、
赤茶けてきた。
静かなキャンパス。
人影もちらほら。
木々は紅葉し始めた。
その紅葉のアーチ。
昨2012年11月7日、
グランドオープンした池袋図書館。
ロイドホールのB2Fから3Fまでのフロアと、
12号館のB2F~1Fまでのフロアが一体化。
収蔵冊数200万冊、閲覧席数1520席。
その入り口付近に、
タリーズが入っている。
カファラテのトールを購入して、
X101号教室へ。
今年の結城ゼミ室。
ひとり一人、個別指導して、
修士論文の仕上げの期間に入ってきた。
この2週間、
私はアメリカに出張していた。
その前の週末は、
新座キャンパスでゼミ合宿を開いた。
その前の2週間も、
私はヨーロッパに出張。
わがゼミ生はこの間、
それぞれが独自に研究を進め、
ずいぶんと深化していた。
嬉しいことだ。
もっとも研究や執筆という行為は、
孤独で独自なものだ。
指導教授はその邪魔をせず、
本人の本来の考え方や「強み」を引き出す。
私はそう思っているし、
これまでもずっとそうしてきた。
ゼミ生に限らず、
私の人の育て方の方針は、
たったひとつ。
「邪魔をしないこと」
会社の部下でも、
研修会に参加してくる人たちに対しても、
もちろん自分の息子や娘でも、
本人が持っている力を伸ばすことを、
最優先する。
従って、
社長や編集長、
教授や指導者や父親として、
「邪魔をしない」
これは故上野光平先生の教えだ。
西友の実質的創業者にして、
流通産業研究所理事長・所長。
その上野先生の人の育て方が、
「邪魔をしないこと」
私も生涯、この考え方を貫いている。
「邪魔をしないこと」
もちろん自分自身は、
その生き方、仕事の仕方に関して、
猪突猛進型だ。
部下もゼミ生も、
子どもたちも、
それを見ている。
見ていて、
自分でどうするかは、
本人に任せる。
「邪魔をしない」。
そしてこの考え方は、
これまでずっと成果を上げている。
私はそう自覚している。
上野光平先生の著書『自己啓発のすすめ』。
その「あとがき」。
「学ぼうと思えば、
誰からでも学べる」
「ごく普通の人が、
それと知らずに他人に教えてくれる」
「我々の耳は二つで、口は一つだ。
つまり少なくしゃべり、たくさん聞くためだ」
「愚かな人ほど教えたがり、
賢い人ほど学びたがる」
「教育とは他人が考えたことを教えるのではなく、
どう考えたらよいかの方法を教えること」
「本当の勉強とは、
学んだものをすべて忘れてしまった後でも、
なお自分に残っているものをもつこと」
上野先生、
素晴らしい。
最後に、マザー・テレサの言葉。
どんな人にあっても、
まずその人のなかにある、
美しいものを見るようにしています。
この人のなかで、
いちばん素晴らしいものは
なんだろう?
そこから始めようとしています。
そうしますと、
かならず
美しいところが見つかって、
そうすると私はその人を、
愛することができるようになって、
それが愛のはじまりとなります。
みなさん、より週末を。
〈結城義晴〉