お盆に「死」を考える社説の稚拙さと産業の先駆者たちの熱い思い
お盆の14日。
横浜みなとみらいをぶらり。
右がランドマークタワー、
左がコレット・マーレ。
ポケモンのバスに、
子どもたちは大はしゃぎ。
親も。
横浜の街。
神奈川県庁。
館内ツアーを催し、
屋上を解放し、
ビールやつまみを供する。
後ろは横浜港。
港内クルーズの船上では、
パーティが開かれる。
日本大通り。
そして日本丸と観覧車。
さて日経新聞は社説で、
「お盆に『死』を考えてみよう」
おっと、なんという重いテーマ。
「日本では今、年間で
130万人近い人が亡くなっている
(中略)2030年ごろには
160万人を超える見込みだ」
私はその頃、喜寿か。
「日本人の8割は病院で亡くなる」。
しかし「最期は自宅で迎えたい」、
そう希望する人は多い。
「どんなふうに最期を迎えたいのか」
「終末期にどのような医療を施すのか」
「判断の最も大切な基準は、
本人の意思とされる」。
そこでお節介の提案。
「周りの人を戸惑わせないため、
不必要な治療を受けないため、
何よりも自分自身のため、
自分はどんな最期を迎えたいのかを考え、
身近な人に聞いてもらったり、
書き留めておいたりすることは大切だ」
この社説、
「死を考える」にしては、
ひどく幼い。
私の父は87歳。
こんなことはすべて終わらせて、
いま、終りのときを迎えようとしている。
人の死をこんなふうな社説にしかできない。
お粗末極まりない。
毎日新聞の社説は、
「増税後の景気
消費回復がカギになる」
「いま食料品など生活必需品が幅広く値上がりし、
消費者の懐を直撃している」
「給料は少し上向いてきたが
増税と値上げに追いついていない。
『家計が苦しくなっ てきた』と
消費者は不安に思っている。
これを払拭(ふっしょく)し、
消費回復につなげられるかが
増税後の経済を支えるカギになる」
このブログで書いた内容だが、
こちらも幼すぎる。
「年末に向け、
来年秋の消費税再増税の議論も迫られる。
家計にさらに負担増を求める話だ。
社会保障の安定や財政健全化に向け、
議論を前向きに進めるためにも、
今は家計へのきめ細やかな目配りが必要な時だ」
私が年をとってきたからか。
社説の書き手が皆、年下だからか。
ずいぶん稚拙な社説ばかりだ。
わかりやすく書くこと。
それと幼いこと、拙いこととは、
決定的に異なる。
難しい問題だからこそ、
深い考察や洞察を繰り返し、
それを平易に簡潔に書かねばならない。
稚拙な思考や、
聞きかじりのノウハウもどきを、
社説で展開していては、
新聞の信頼が崩れる。
しかしこれは、
日本社会全体が、
幼児化していることの表れかもしれない。
そちらこそ大いなる問題だ。
われわれの世界でも、
わかりやすい断言だけれど、
幼すぎる議論や提案が、
ひどく多い。
さて日経新聞の最終面『交遊抄』。
ジュンテンドー社長の飯塚正さんが、
「先駆者との旅」と題して述懐する。
「大学4年の春に
米国の流通業を視察するツアーに参加した」。
そこで一緒だった人々。
カーマ会長の鏡味順一郎さん、
HIひろせ社長の廣瀬舜一さん、
ケーヨー副社長の岡本正さん。
日本ホームセンター業界の先駆者たち。
「年齢は私と親子ほど離れていた」、
「3人が熱く語る経営への思い」。
「私が大学卒業後、証券会社を経て
ジュンテンドーに入社する決心をしたのは、
この時の経験が影響している」
産業の先駆者たちの熱い思いは、
人を動かす。
仕事を成し遂げてきた者。
私の父を含めて、
その人々の生き様には、
ただただ頭が下がる。
彼らからは幼稚さは、
微塵も感じられない。
〈結城義晴〉