「満開の『ローカルチェーン天国』の森の下」の9年後の森の下
日本気象協会の、
2015年桜の満開日予想。
一番満開が早いのが、
3月31日、福岡、熊本。
次が意外にも4月2日の東京の都心。
4月3日は広島、奈良、名古屋。
4月4日が高松、大阪、京都。
日本海側は遅くて、
4月6日の松江。
4月8日は、北陸新幹線開通で賑わう金沢。
4月12日が新潟、福島。
4月14日は長野、仙台、
4月27日が青森。
そして北海道は5月。
5月7日が札幌、
5月25日が日本で最も遅い根室。
こうして見ると日本列島は、
3月末から5月末まで、
満開の桜を楽しむことが出来る。
その満開は、
開花から1週間から10日程度。
今年の桜満開は、
昨年よりも遅くなる所が多い。
その昨2014年4月、
伊香保の桜。
東日本大震災があった2011年4月、
吉野山の一目千本。
毎年毎年、楽しませてくれる。
その桜の開花。
もうすぐです。
桜の季節になると、
いつも思い出すことがあります。
10代の終わり頃、私は、
坂口安吾に溺れておりました。
毎年毎年、
桜の季節がやって来ると、
『桜の森の満開の下』を
思い浮かべます。
2006年の3月28日、
私は㈱商業界代表取締役社長でしたが、
以下のタイトルで短文を書いています。
「満開の『ローカルチェーン天国』の森の下」
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大阪のニッショーストアが、
阪急百貨店に売却されました。
1980年代後半から1990年代にかけて、
ニッショーは輝いていました。
クリエーティブなマーチャンダイジング、
イノベーティブな経営戦略、
そしてブリリアントな売場。
特筆すべきものをたくさん
持ち合わせた企業でした。
私も、毎月のように取材に訪れました。
残念ながらそうした革新性を
内側から支えていた井上靖之さんが、
1995年暮れ、急逝され、
さらにこの企業を事実上創業し、
成長させてきた堀内彦仁さんが、
お体を悪くされてから、
ニッショーからはその先進性が
少しずつ薄れてゆきました。
もちろん現在も、ニッショーストアは
優れたスーパーマーケットであることに
変わりありません。
しかし、経営革新を考えるとき、
リーダーの存在の重さを、
つくづくと思い知らされるのです。
私が、最近、いつも
強調していることがあります。
それは日本の小売業は、
「ローカルチェーン天国」であり過ぎた、
という指摘です。
かといってナショナルチェーンとして
立派な企業はまだない。
あるいは全国チェーンは
コンビニや専門店に限られている。
ローカルチェーン天国こそ、
人物に負った業界であった証拠です。
仕組みや組織の強みよりも、
一個人の力のほうが、優っていた。
その力関係がどうやら変わり始めた。
ローカルチェーン天国の崩壊は、
まずリージョナルチェーンの勢いをつくり出す。
現状が、それです。
淘汰の中で統合が進むからです。
もちろん地域的な特性にもよりますが、
やがて顧客に強く支持されたローカルチェーンは、
再び、輝きを示す。
インディペンデントといわれる支店経営の店は、
さらに個性を発揮し始める。
私はそう、期待しています。
あのアメリカを見ても、
素晴らしいローカルチェーンやインディペンデントが、
数多く躍動しているからです。
そしてナショナルチェーンを
視野に入れたリージョナルチェーンは、
いわば日本の道州制レベルの「範囲の経済」の中で、
強さを顧客に誇示し始める。
顧客たちは両者、
もしくは三者の競争を楽しみつつ、
クールに店を選択する。
満開のローカルチェーン天国の森の、
地面の下に鬼がいる。
満開は今年が最後となるのでしょうか。
いや、満開は昨年、
もしかしたら一昨年だったのではないか。
確かに、もう桜は散り始めているからです。
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あれから9年。
ニッショーストアの店舗は、
㈱阪食のもとで、
阪急オアシスとして蘇っています。
しかし、「ローカルチェーン天国」は崩れ、
満開の天国桜は散り始めています。
そしてリージョナルチェーンは、
道州制レベルの「範囲の経済」の中で、
強さを誇示し始めています。
ユナイテッド・スーパーマーケットの誕生、
ライフコーポレーションの革新、
アークスのM&A推進、
ヤオコーのイノベーション、
万代の躍進。
そしてファミマとサークルKサンクスの統合。
その結果の「三占」と「複占」。
9年前の商業界社長の、
「満開の森の下」の夢想は、
それなりに実現しているようです。
それも桜の力によるものでしょう。
今日のブログは、
坂口安吾の『桜の森の満開の下』の、
エンディングの文章を、
そのまま紹介して終わりましょう。
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桜の森の満開の下の秘密は
誰にも今も分りません。
あるいは「孤独」というものであったかも知れません。
なぜなら、男はもはや
孤独を怖れる必要がなかったのです。
彼自らが孤独自体でありました。
彼は始めて四方を見廻しました。
頭上に花がありました。
その下にひっそりと
無限の虚空がみちていました。
ひそひそと花が降ります。
それだけのことです。
外には何の秘密もないのでした。
ほど経て彼はただ一つの
なまあたたかな何物かを感じました。
そしてそれが彼自身の
胸の悲しみであることに気がつきました。
花と虚空の冴えた冷めたさにつつまれて、
ほのあたたかいふくらみが、
すこしずつ分りかけてくるのでした。
彼は女の顔の上の花びらを
とってやろうとしました。
彼の手が女の顔にとどこうとした時に、
何か変ったことが起ったように思われました。
すると、彼の手の下には
降りつもった花びらばかりで、
女の姿は掻き消えて
ただ幾つかの花びらになっていました。
そして、その花びらを
掻き分けようとした彼の手も彼の身体も
延した時にはもはや消えていました。
あとに花びらと、冷めたい虚空が
はりつめているばかりでした。
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満開の桜の後には、
花びらと冷たい虚空。
それが安吾の結論です。
〈結城義晴〉