鹿島茂編訳『パスカル パンセ抄』を読んで、考える葦になる
こんな本を書きたいと思います。
『パスカル パンセ抄』。
原著者ブレーズ・パスカル。
編訳者・鹿島茂。
出版社・飛鳥新社。
2012年7月14日初版。
ブレーズ・パスカル(Blaise Pascal)は、
フランスの哲学者、数学者・物理学者。
1623年6月19日に生まれ、
1662年8月19日に、
39歳で早世。
死後、遺稿が『パンセ』として出版されました。
前書きで鹿島さんは語ります。
「ポスト・モダンどころか
ポスト・ポスト・モダンの時代に
突入したいまの日本社会が
直面している問題のことごとくが
正面から取り上げられ、
考えに考え抜いた末に出した、
目を背けたくなるほど直截的な解答が
あたえられている」
「『パンセ』は350年の時空を飛び越えて、
われわれ現代日本人が抱える問題意識に迫る」
そのパスカルの言葉。
第7章「職業と選択」。
「一生のうちでいちばん大事なのは、
どんな職業を選ぶかということ、これに尽きる。
ところが、それは偶然によって左右される。
習慣が、石工を、兵士を、
屋根葺き職人をつくるのだ」
〈断章九七〉
そして続けます。
「人間は屋根葺き職人だろうとなんだろうと、
生まれつき、あらゆる職業に向いている。
向いていないのは、
部屋の中にじっとしていることだけだ」
〈断章一三八〉
「習慣の力というのはじつに偉大なものであり、
自然が人間というかたちでしかつくらなかったものから、
ありとあらゆる身分や職業の人間を
つくりあげるのである」
〈断章九七〉
商人という職業を選んだのは、
実は偶然なのです。
野球選手も、音楽家も、
学者も、ジャーナリストも、
習慣と偶然によって、
その職業に就く。
人間は生まれつき、
あらゆる職業に向いている。
習慣がありとあらゆる身分や職業を、
つくりだすのです。
「人は精神を自分でダメにするように、
直感も自分でダメにすることがある。
人は精神と直感を会話によって鍛え上げるが、
会話によってダメにもする。
良い会話は精神と直感の鍛え上げに役立つが、
悪い会話はこれらをダメにするのに役立つ」
良い会話、悪い会話。
良い講義、悪い講義。
良いセミナー、悪いセミナー。
そして良いコミュニケーション、
悪いコミュニケーション。
「従って、どんな場合でも、
鍛え上げるかダメにするかは、
正しい選択を知ることにかかっている。
だが、そうした正しい選択を行うには、
すでに鍛え上げに成功していなくてはならない。
かくて、話は循環論法に陥る。
そこから脱出できる人は幸せである」
〈断章六〉
数学者でもあるパスカルは、
論理的です。
第9章は「褒められたい」。
「わたしたちはひどく思いあがった存在だから、
全世界の人から知られるようになりたい、
いや、自分たちがこの世から消えたあとでさえ、
未来の人に知られたいとおもっている。
それでいながら、自分の周囲の
五、六人の人から尊敬を集めれば、
それで喜び、満足してしまうほどに、
空しい存在なのだ」
〈断章一四八〉
「虚栄というものは人間の中に
非常に深く錨(いかり)を降ろしている。
だから兵卒も、料理人も、港湾労働者も、
それぞれに自慢ばかりして、
賛嘆者を欲しがるのだ。
さらに哲学者たちも、
称賛してくれる人が欲しい。
また、そうした批判を書いている当人も、
批判が的確だと褒められたいがために書くのだ。
また、その批判を読んだ者も、
それを読んだという誉れがほしいのである」
「そして、これを書いているわたしですら、
おそらくは、そうした願望を持っているだろう。
また、これを読む人だって・・・・・・」
〈断章一五〇〉
パスカルは、謙虚です。
天才は謙虚なのです。
「好奇心とは、じつは虚栄心にほかならない。
たいていの場合、
人がなにかを知りたいと思うのは、
あとでそのことをだれかに
話したいと感じているからなのだ」
う~ん。
鋭い。
自分の内側に入り込んで、
モノを考え抜いている。
「誇りというものは、悲惨や誤謬のなかでさえ、
いとも自然にわたしたちをとらえている。
そのため、あとで
人の語り種(ぐさ)になるという条件さえ整えば、
みな喜んで命を投げだすことになるのだ」
ピーター・ドラッカーは言います。
「何によって憶えられたいか?」
これは人間の誇りから発せられた問いなのです。
『パンセ』を読んで、
ちょっとだけ、考える葦になってみました。
(来週土曜日につづきます)
〈結城義晴〉