「ピアノが愛した女」矢野顕子と「商売が愛した男」
2016年1月現在。
どうやらインターネットのブログは、
ピークを過ぎて、成熟化し始めたようだ。
昨年秋から、ほとんどのブログが、
アクセス数やページビュー数を落としている。
ブログをやめてしまった人も多い。
おかげさまで毎日更新宣言ブログは、
それを維持向上させつつ、
ご好評を得ている。
ありがたいことだ。
昨日発刊した月刊『商人舎』新年号。
巻頭に「New Year’s Impression 2016」
成長も生き残りも、原動力は人にあり。
人手確保と人財養成に
活路を求めるための「モノの考え方」
七海真理さんのデザインは、
いつもいつも素晴らしい。
これまで長いこと雑誌をつくってきたし、
多くのいいデザイナーに出会ってきたが、
いまが一番いい。
紙の『商人舎』は、
目でも楽しんでください。
さて今日は、久しぶりに、
一日中、横浜商人舎オフィス。
すると、来客多数。
まず、㈱万代から。
右が、長岡京店店長の津田睦さん。
真ん中は、東尾里江さん、
人事部教育チームマネジャー。
新年度から新しい取り組み。
渦を巻き起こします。
それから、エスエムオー㈱のお二人。
真ん中がCEOの青山永さん。
右はジャスティン・リーさん。
青山さんは同社ヘッド・コンサルタントで、
立教大学大学院では、
私の講座を履修してくれた。
ジャスティンさんは、ロサンゼルス在住の、
パーパス・ディスカバリー・ファシリテーター。
日米の小売業や流通業に関して、
お二人の質問に答えた。
わかりが早い。
実に気持ちいい。
さて、今年初めて『日刊イトイ新聞』から。
「今日のダーリン」は糸井重里の巻頭言。
『SUPER FOLK SONG ピアノが愛した女』
10年以上前のドキュメンタリー映画。
矢野顕子の演奏と生活を追う。
糸井重里が、
この映画のタイトルを提案した。
「ピアノが愛した女」
自分でも気に入っているらしい。
「ピアノを愛した女である矢野顕子なのだけれど、
それだけでは、矢野顕子にならない。
ピアノに愛されているという運命のようなものが、
そこになければならないと思ったのだ」
コピーライティングという、
糸井の本業の話。
「愛することは、幸せなことである。
そして、愛してやまないというつらさもあるだろう。
しかし、愛されるということは、
どうにもならない。
愛されるようにすれば
愛されるというものではない」
「愛される幸せもあるけれど、
愛されてしまったがゆえに、
つかまえられてしまったという不幸もある」
コピーライターは、
こんなに七面倒臭い考え方をするのか。
「両思いというのは、
なかなかむつかしいバランスだ。
矢野顕子の場合、
それが、とてもうまくいっている」
「ピアノに愛されてしまった怖さの部分を、
愛し返すことで消してしまっているような、
そんな」
なるほど。
「このバランスのなかにいられる人は、
ほんとに稀有だ」
これは、同感。
同じように立川談志も、
「落語が愛した男」。
糸井は「弟子の立川志の輔も」というけれど、
私は、志の輔は、もうちょっと、だと思う。
「落語を愛しているうちに、
愛されちまった男」
「落語が、
『おまえさんを離さないよ』と
耳元でささやく。
他のだれにも目もくれないで、
わたしを愛せと。
命の貢ぎ物を捧げろと
昼に夜に要求する」
談志は確かに、そうだった。
古今亭志ん朝も、
「落語が愛した男」だった。
一区切りの時代に、
同じ世界に二人くらいは、
「愛される男」や「愛される女」がいるのか。
そうすると、
矢沢永吉は、
「日本ロックが愛した男」
長嶋茂雄は、
「野球が愛した男」
糸井の述懐。
「愛されることは誇りであるし、
歓びであるけれど、
なかなか厳しくも辛いものなのだと、
凡人は思う」
ここまで書いてきて、
では「商売に愛された男」は誰か、
と考えた。
商売を愛することは、
商人にとって幸せなことである。
商売が好きでたまらない、
というつらさもあるだろう。
しかし、商売から愛されるか否かは、
どうにもならない。
愛されるようにすれば
愛されるというものではない。
愛される幸せもあるけれど、
愛されてしまったがゆえに、
つかまえられてしまったという不幸もある。
商売と商人、
両思いというのは、
なかなかむつかしい。
アメリカでは、
サム・ウォルトンがそうだった。
日本で言えば、「商売」に関しては、
伊藤雅俊さんがそれだろう。
ご存知、イトーヨーカ堂創業者。
そしていま、そのイトーヨーカ堂が大不振。
だからイトーヨーカ堂には、いま、
「商売が愛した男」が必要だ。
いや、イトーヨーカ堂に限らない。
矢野顕子や立川談志、
矢沢永吉や長嶋茂雄のように、
「何かを愛して、
その何かから愛されてしまう人間」
その登場が待たれる。
これは英雄やカリスマの出現を、
意味しているのではない。
ピーター・ドラッカーの「真摯さ」に、
通じるものだ。
商売から愛されることは、
誇りであるし、歓びであるけれど、
なかなか厳しくも辛いものなのだ。
みんなに、それを目指してもらいたい。
〈結城義晴〉