「別品」の国の「変わらないための永遠の微調整」
2016年も6月に入った。
毎年6月1日に書いている気がするが、
日本語では水無月。
「水の月」説が有力。
英語では「June」、フランス語では「juin」、
ドイツ語は「Juni」、ロシア語は「июнь」。
ローマ帝国の公用語のラテン語では、
「June」で、これが語源。
現代の暦は、
ローマのユリウス暦を元祖としているから、
ラテン語が語源となって当たり前。
ローマ神話の主神はユピテルだが、
その妻ユノ(Juno)の名が、
6月のネーミングに採用された。
実はユピテルの妻であり、姉でもある。
女性を守護する女神。
だから結婚や出産を司る。
そこで6月に結婚式を挙げる花嫁は、
June bride「6月の花嫁」と呼ばれる。
いい月ですね。
しかし6月は、
国民の祝日がない月。
その代り、
6月は、食育月間であり、
環境月間だ。
2005年に食育基本法が制定され、
これに基づいて、国は、
2006年から食育推進基本計画を作成。
この計画のなかで、
毎月19日が「食育の日」、
6月が「食育月間」と位置づけられた。
一方、1972年、
ストックホルムで国連人間環境会議が開催され、
6月5日が「世界環境デー」と定められた。
日本はその前年の1971年に、
正式に環境庁を発足させ、
この世界環境デー制定を主導した。
もちろん日本でも、
6月5日は「環境の日」として、
環境運動が活発化した。
その後、1973年から、
6月5日を初日とする「環境週間」が始まり、
1991年から6月が「環境月間」と定められた。
最後に1993年「環境基本法」が、
後追いのように制定され、
環境の日、環境月間が再認されている。
さらに2001年、環境庁は、
環境省に格上げされて今日に至る。
しかし祭日のない6月は、
食育と環境の月間。
米国ホールフーズのコンセプトが、
この日本の6月に重なると考えて、
産業を挙げて運動すべきだと、
私は思っている。
6月の私のスケジュールは、
この商人舎ホームページの右上。
「行動予定カレンダー」にある。
協会や団体の総会と懇親会が、
目白押し。
学習院マネジメントスクールや、
イオンビジネススクール、
万代知識商人大学の、
開校講座や講義が、
これも目白押し。
第2週の来週は、
商人舎ミドルマネジメント研修会、
再来週は上海で、
万代ドライデイリー会勉強会。
私にとって、業界にとっては、
6月は会合の月。
商人舎オフィスの裏の遊歩道。
いい天気の6月だからか、
中学生のグループが、
輪になって、座る。
みんな、スマホをいじっている。
さて、朝日新聞『折々のことば』
毎日のことだが、
鷲田清一さんの編著が実にいい。
このところ日本は
一位とか二位とかを争う
野暮(やぼ)な国じゃなくていい。
「別品」の国でありたいと思うのです。
〈天野祐吉〉
「この国は、成長という
過去の夢を再び追うべきでなく、
成熟を旨とする国として再生すべきだ」
雑誌『広告批評』を主宰したコラムニスト。
「別品」とは、
「普通の物差しでは測れない優れもの」
主流ではないけれど、
時間が経過すると、
どちらが一位であるかわからない状況に
なってしまう可能性があるもの」
天野祐吉著『成長から成熟へ』より。
これは私がよく使う
レース型競争とコンテスト型競争と、
同じ意味だと思う。
成長のプロセスでは、
レース型競争は必須だ。
しかし成熟社会では、
コンテスト型競争となる。
そこで「別品」がクローズアップされる。
別品はノンコモディティであり、
マーケットニッチャーの商品だろう。
「どちらが一位であるか
わからないような状況」が、
「生じる可能性がある」というのは、
ニッチャーがマーケットチャレンジャー、
またはマーケットリーダーになるということ。
アメリカのホールフーズは、
オーガニックというニッチ市場で、
まさしく「別品」となったが、
やがてそのマーケットが急速に巨大化して、
オーガニックのマーケットリーダーとなった。
このことを天野さんは指摘したのだと思う。
鋭い人だ。
さてさて、古舘伊知郎。
テレビ朝日系の「報道ステーション」で、
12年間、キャスターを経験した。
結論は「敗北だった」
昨日の朝日新聞に、
3時間喋りまくった。
「外交、政治、経済にくわしくもない、
ど素人が、重い任を背負ってしまった。
負い目や不安はいっぱいある。
僕は筑紫哲也さんでも、
岸井成格さんでもない。
ジャーナルな目線はあまりなかったと、
正直に認めます」
「ただ、テレビという情動のメディアで、
反権力、反暴力、反戦争という姿勢は
持ち続けようとやってきた。
その自負は、あります」
けれど「敗北」を認める。
「ニュース番組が抱えている
放送コード、報道用語。
予定調和をやめて、
もっと平易でカジュアルな
ニュースショーができないかと
12年やってきたけど、
壁を打破できなかった」
「負け犬の遠ぼえなんで、
そこはしっかと自覚しようと。
敗北を抱きしめて」
今後は?
「報道ではなくバラエティーのコードで、
わかりやすい言葉や感受性に
ヒットする言葉を選んで、
半自由にしゃべらせてもらいたい。
わがままがうずいたんです」
「報道は知識、情報。
あと、自分の視点、言葉に
『智慧(ちえ)』を入れたかった。
でも、ちょっとひねった言い方をすると、
『お前の意見なんてどうでもいい』と
めった打ちにされた」
変革は難しい。
古館もどんどん普通になっていった。
「テレ朝への電話やメールは
1日100本を超えることもあり、
僕が失言すると300本。
大きな事件や朝日新聞の
従軍慰安婦報道謝罪のときは、
さらに多くなった」
「その1人の後ろに何百人がいる。
毎日意見に目を通していると、
言いたいことはどんどん言えなくなった。
報道番組を見る人のスタンスにも、
僕はある意味、負けた」
東京工業大学中島岳志教授。
番組のコメンテーターだった。
その言葉は、「保守とは永遠の微調整」
「変わらないためには、
変わり続けないといけない。
全面的には変えないけれど、
少し位相をずらしましょう、と」
「いまの安倍政権も、
20年前の保守政権と違う形で
国民にアピールすることが大事なのでは。
この永遠の微調整をしていくことが、
いまの政権に欠けている
本当の保守本流の政治ではないか」
「テレビのニュースも保守の極みですから、
アナーキー(無秩序)なことはやれない。
けれど、若い人たちは保守、リベラルと
分けない無垢(むく)の柔軟性がある。
だったらさじ加減は難しいですが、
永遠の微調整をやっていく」
そう、さじ加減はひどくむつかしい。
「俺はガチガチに考えすぎて
自然発火みたいになっちゃったけど、
もっとスマートなやり口があるはず」
その極意は、
「永遠の微調整」
「変わらないために
変わり続けること」
〈結城義晴〉