「寒波一休み」の金沢で阪神大震災17年目を思う
急に私のパソコンのバッテリーが切れた。
だから電源を繋いでいないと、
パソコンが使えない。
そのため今日はずっと、
移動中のブログ書きができなかった。
通常は、車のなかでも、
新幹線のなかでも、モノレールのなかでも、
空港の待合室でも、
すぐにパソコンを開いて、
ブログや原稿を書いたり、
メールをチェックしたりする。
バッテリーが切れるとそれができない。
いま、やっと、電源を繋いで、
ブログを書いている。
本当に申し訳ない。
さて、昨日から金沢へきている。
こちらの一昨日は雷が鳴って、
その上、大吹雪。
しかし大寒の20日まで、
「寒波も一休み」
北国新聞の見出しにある。
太平洋岸と日本海側。
日本列島もがらりと様相が変わる。
羽田空港から飛び立ったばかりの東京の上空は、
カラリと晴れた青空で、
関東平野は赤茶けて見える。
少しずつ白い雲が現れる。
そして日本列島の中央を越える頃から、
ジェット機は雲のなかを飛ぶ。
さらに白雲は厚くなる。
そして山肌に雪の光景が見え始める。
金沢の市街は真っ白。
東京周辺の赤茶けた風景から、
45分のところにこんな景色の街がある。
そこに舞い降りる。
信じられないほど。
こうして、小松空港に到着。
夕方、事務局とセミナーの打ち合わせ。
そして金沢駅前のイオンのショッピングセンターを視察。
これはイオンが取り組んだ「デパートメントストア」。
そうしてみると、面白い。
成功しているかどうかは、わからないが。
昨日はあの阪神大震災から17年。
各地で、慰霊の催しや、
地震対策の行事が行われた。
1995年1月17日。
当時、私は㈱商業界の『食品商業』編集長。
2月15日発行の3月号の巻頭に追悼文を書いた。
「阪神大震災」
阪神大震災、お見舞い申し上げたい。
亡くなられた方々のご冥福を祈りたい。
尊い命を、家族を、同朋を、
奪い取られた悲しみはつきない。
家を、店を、財産を失った絶望は深い。
しかし、人びとはたくましかったし、
モラルは高かった。
被災地の商業は任務を果たし続けた。
スーパーマーケットは、生存のための配給基地となった。
コンビニは、余震の続く闇のなかの灯台に変わった。
フードサービスは、温かい食べ物の炊き出し係に徹した。
メーカーや問屋は、補給部隊の役を担った。
小さな店も、大きな企業も、
皆が、このときこそと、
日ごろの仕事の腕を発揮した。
いつもよりも素早く、力強く、黙々と。
そのそばで、瓦礫のなかに埋まったままの人たちも、
また、いた。
雨ニモ負ケズ、風ニモ負ケズ、
商業は働き続けねばならない。
店は客のために、是が非にも、開けておかねばならない。
有事のときにこそ、頭を柔らかくし、
冷静に、活躍せねばならない。
人びとが立ち上がる礎にならねばならない。
商業人はどんなときにも、
明日を見つめていなければならない。
私たちは、震災に勇敢に立ち向かった仲間を、
心から尊敬しよう。
商業という仕事を貫いた同志たちを誇りにしよう。
こんなときだからこそ、深く深く、
私たちの役割の大切さを自覚しよう。
そして、この阪神大震災を永く記憶にとどめておこう。
崩れ果てた廃墟のなかで、人びとに喜んでもらったこの感動を、
これからの支えにしよう。
未来のために。
客のために。
店のために。
蘇える街のために。
私たち自身のために。
私は今もこの時の気持ちを失ってはいないし、
拠点をもつビジネスの重要性を、
もっともっと認識すべきだと思っている。
小売業や外食業、サービス業。
店をもつ。
その店は、平時には営業して、
顧客の満足を創り出し、
売上げと利益を生みだす。
しかし有事のときには、
人間の生存の拠点となる。
「凡事徹底・有事活躍」
私はこう言っているが、
平時のときにこそ、
いつも、有事を考えて、
力を蓄えておかねばならない。
平時の力が、有事に生きる。
ウォルマートには、特別の部署がある。
「ビジネス・コンティニュイティ」
(Business Continuity)
2005年8月24日の水曜日、
メキシコ湾の熱帯低気圧がハリケーンに分類変更された。
その名は「カトリーナ」
ウォルマートではアーカンソーの本社内に、
ビジネ・スコンティニュイティの担当者を中心に、
非常時の指揮センターが立ち上げられた。
8月28日の日曜日に、カトリーナがニューオリンズに上陸してくると、
緊急物資を被災地周辺の店舗へ配送し始めた。
29日月曜日、30日火曜日には、
2400台もの自社トラックが動いていた。
9月2日の金曜日には、15店の重大な被害を受けた店以外は、
営業を再開していた。
店々には顧客が殺到した。
入場制限するほどだった。
これもウォルマートの「有事活躍」の事例。
ウォルマートに限らない。
阪神大震災ではダイエーやセブン-イレブンの活躍が有名だが、
私はすべての小売業やフードサービス業、サービス業が、
地域に貢献したと信じている。
この時は、通常、隣同士で競争している店が、
互いに助け合って、お客を助けた。
それが商売をする者の本質だ。
そんなことを私たちは、いつも、
考えておかねばならない。
だから阪神大震災を、
新潟県中越地震を、
カトリーナを、
私たちは忘れてはいけない。
合掌。
<結城義晴>