昭和の日に「symbol」と「model」を考えた。
Showa Day。
新緑の昭和の日。
祝日法に記されたその趣旨は、
「激動の日々を経て、
復興を遂げた昭和の時代を顧み、
国の将来に思いをいたす」
私は昭和27年生まれだから、
64年まであった昭和を、
37年ほど生きていた。
それから平成に変わって29年。
その昭和の時代の4月29日は、
「天皇誕生日」だった。
昭和天皇のお生まれは、
1901年4月29日。
これは明治34年。
そして崩御は1989年1月7日。
この年の初めの7日間が昭和64年だった。
1月8日から平成元年となった。
昭和天皇は、日本の第124代天皇。
幼少時の称号は迪宮(みちのみや)。
諱(いみな)は「裕仁」(ひろひと)。
「諱」は「生前の実名」。
天皇の実名は、
生前にはあまり使われない。
口にすることをはばかる。
それを「諱」という。
諱にはもう一つ意味がある。
人の死後にその人を尊んで贈る称号。
諡(おくりな)ともいう。
昭和天皇崩御の後、
「天皇誕生日」の4月29日は
「みどりの日」となった。
昭和天皇は生物学者であり、
自然を愛した。
だから昭和天皇をしのぶ日として、
「緑の日」とすることになったが、
その後、2007年から「昭和の日」となり、
「みどりの日」は5月4日に移った。
降る雪や明治は遠くなりにけり
〈中村草田男〉
昨日の「折々のことば」
よくぞ今まで
生きてこられましたね。
今、生きている自分を
褒めてあげてください
〈柳田邦男〉
柳田は次男を自死で喪った、
ノンフィクション作家。
幼子を亡くしたある母親から、
手紙をもらう。
そして、もがきながらでも、
生きていこうとすることの、
重さを思い知る。
以後、深い悲しみの中にある人には
こう声をかけようと思う。
編著者の鷲田清一さんの述懐。
「自分を褒めるということに
抵抗を憶(おぼ)える私も、
これを誰かにそっと
背後から言われたらきっと
号泣するだろう」
昭和の時代には、
「深い悲しみ」があった。
みんな、よくぞ、
ここまで生きてきた。
いま生きている自分を
褒めてあげよう。
さて、その昭和生まれの糸井重里。
「ほぼ日」の巻頭言で、
「モデル」を考察する。
「東京タワーは、おそらく
エッフェル塔がなかったら、
誕生しなかったのではないかと思う」
「鉄骨を組み上げてむやみに
高い塔を立てるということが、
アイディアとして
ひょいっと出てくるかどうか、
また、あのようなかたちで
できたかどうかを想像すると、
やっぱりちょっと考えにくいものがある」
「エッフェル塔という『モデル』が
あったせいで、その後の世界に
エッフェル塔的なものが
増えていたのだ」
その通りだ。
このエッフェル塔のたとえ、
さすがの糸井だ。
「人間の姿かたち、
装いの流行などにも、
もちろんモデルの存在が
大きく影響している」
このたとえは、
「矢沢永吉」と「木村拓哉」
それが「永ちゃん的」な人びと、
「キムタク的」な人びとを
たくさんつくった。
「ヘアスタイルや、服装、
ことばのくせ、趣味嗜好などが、
人びとに憶えられ、コピーされることで、
モデルの役割は強められていく」
逆に見れば、
「モデルがあることによって
そのコピーがしやすくなる」
これが「プロトタイプ」などといわれる。
「賛成、反対、憧れ、軽蔑、
なんでもしやすくなる」
「あれみたいなもの」だとか、
「あの人みたいな存在」とか、
「すぐに目に見えるように語り合える」
そこで問題解決的な考察。
「いろんなものごとを、
どうにかしようと思うときには、
あれこれすべての準備を
整えるなんてことより先に、
modelが動き出すことが
大事なんだよね」
「うまくいったら、ああなるのか」
「modelが元気で動き出せば、
その先の未来に行って見たくもなる」
昭和の時代の途中まで、
天皇はmodelだった。
政府がmodelを通して、
行動を提起した。
しかし日本国憲法によって現在、
天皇は「象徴」となった。
象徴は「symbol」
GHQのマッカーサーは、
昭和天皇に対して、
「symbol」という言葉を使った。
いろいろな会社にも、
「symbol」はあるし、
人格としても存在するかもしれない。
しかし会社を営むには、
「symbol」ではなく、
「model」こそが必要だ。
そして何かをするとき、
「model」が動き出す。
もちろんsymbolがあってもよろしいが、
社長はsymbolではいけない。
modelでなければならない。
本部長こそ、
modelそのものだ。
店長や部門長も、
symbolではいけない。
modelでなければならない。
そしてあなたは、
modelたり得ているか。
新緑や昭和も遠くなりにけり。
昭和の日に、そんなことを考えた。
〈結城義晴〉