秋分の日に「和を以て貴しとなす日本」の「良さ」を思う
秋分の日。
北の空には黒い雲。
南の空には白い雲。
店には秋の色。
しみじみと秋を感じる日だ。
秋分の日が土曜日と重なった。
商売にとっては残念な曜日回り。
しかし、それを嘆いてはいけない。
悔やんではならない。
心静かに受け入れなければならない。
ハッピーマンデー制度によって、
国民の祝日の一部が、
従来の固定日から、
特定週の月曜日に移動された。
1年に4日ある。
成人の日は、1月第2月曜日。
海の日は7月第3月曜日。
敬老の日は9月第3月曜日。
体育の日は、10月第2月曜日。
それはそれでいいけれど、
祝日にはそれぞれに意味がある。
その意味をかみしめることこそ、
祝日の意義の一つであると思う。
これは米国の月曜休日統一法の真似。
「Uniform Monday Holiday Act」
私はアメリカが大好きだが、
これを真似る必要はない。
アメリカの祝日のうち、
ワシントン誕生日、
コロンバスデー、
キング牧師記念日などが、
この法律によって月曜日に移された。
これはいかがなものかと、
私は思う。
ジョージ・ワシントン大統領や、
キング牧師の誕生日を、
月曜日に移してしまう。
コロンブスがアメリカ大陸を発見した日も
月曜日に移動させる。
どうかと思うが、
野球のメジャーリーグでは、
「投げない敬遠」が導入された。
試合時間短縮のためだが、
これもどうかと思う。
だから、秋分の日は、
土曜日でもよろしい。
それを静かに受け入れたい。
さてアメリカに追随するといえば、
安倍晋三総理大臣の、
国連総会一般討論演説。
北朝鮮批判に終始した。
その演説の内容はともかく、
表現や言葉遣いに関してまで、
ドナルド・トランプ大統領に追随するのは
いかがなものか。
ここは日本人らしく、
そのリーダーらしく、
国際人らしく、
演説してほしかった。
ドイツのアンゲラ・メルケル首相。
トランプ米大統領の国連演説に対して、
「そのような威嚇には反対だ」と述べた。
トランプは「北朝鮮の完全破壊」と言った。
「完全破壊」とは、
国民や国土までも打ち壊して、
焼土とすることを意味とする。
メルケル首相は、一方で、
「制裁とその実行も正しい答えだ」とする。
しかし、軍事手段による解決は、
「絶対的に不適切」。
外交解決以外は「すべて過ち」と強調。
トランプよりも、
メルケルを見習いたい。
さて、「ほぼ日」の糸井重里。
「いろんなやつがいた。
いいやつもいた。
わるいやつもいた。
そういう人生だった。」
大物スターのような口調で、
ゆっくりとこう言う。
糸井が若いときに、流行していた。
「どうだ、まいったか
というくらいシンプルだ。
度を越して当たり前にも思える。
だから、冗談なのである」
「しかし、冗談として言ってるのだけれど、
ほんとじゃないか」
「いろんなやつがいた」‥‥‥
多様な人びとに出会った。
「いいやつもいた」‥‥
いいやつと出会ったこともある。
「わるいやつもいた」‥‥
わるいやつと関わったことも。
「そういう人生だった」‥‥
この事実に必然性などない。
「重要なポイントは、
関係やら順序やらを意識せずに、
庭に石でも置くように、
人を配置していくことだ」
そしてこの一連の言葉の使い方を示す。
「なにかの出来事があったときに、
いいやつやら、
わるいやつやら、
いろんなやつが、
なんらかの動きをするにちがいない。
しかし、人生として語るときには、
その人びとは、なにをする必然性もない」
この「いろいろあったの図」を、
「とても便利だ」と述懐する。
「いろんな仕事をした。
いい仕事もした。
ろくでもない仕事もした。
そういう人生だった。」
これを聞いている側の人が、しみじみと、
「そうだったんですねぇ‥‥」
と合いの手を入れたら、完成してしまう。
「ここに、いろんな原稿を書いたよ。
いい原稿も書いた。
つまらない原稿も書いた。
そう、そうだな、そういう日々だった。」
「おれは、それを毎日読んだものさ‥‥」
ありがとうよ、さぁ、
おれとおまえに乾杯だ。
わかるなあ。
毎日書いている身としては。
威嚇したり、
中傷に中傷で応えたり、
完全破壊などと脅したり。
四季豊かな日本、
勤勉、謙虚で、礼儀正しい日本。
静かな文化を持つ日本。
長寿の日本。
もったいない精神の日本。
和を以て貴しとなす日本。
そして日本の商業や商売にこそ、
この日本らしさが活きてくる。
その日本の良さを心得つつ、
秋分の日を生きたいものだ。
〈結城義晴〉