「東北関東大津波大震災」現地レポート「八章 一物三価ビッグハウス遠野物語」
各種コラムの内容が、
どんどん深まっている気がする。
日経新聞の『大機小機』
コラムニスト盤側氏が「悲惨の中に見える本物」として本物論を展開。
「人間社会にとって本当に大事な価値とは何かを、
この悲惨な東日本大震災は我々に示してくれている」
「人間は悲惨の中に人間の尊厳を見ることができるが、
それは繁栄の中に堕落を見る目と一対のものである」
「過剰な自粛ムードは良くないと言う。
しかしそれは経済活動の循環を維持するための
一種の経済政策としての主張なのか。
否、それぞれの人間が、与えられた使命ないし天職をたゆまず
日々の要求に従って誠実に実行することの価値を認めるからだろう」
ここから、私の考え方と同期している。
「人間が自然をめでる本来の花見、
被災地の産物を買い集めての供養の花見、
今だからこそ営まれる花見があると思えば、
夜桜を見せない判断は間違いだろう。
それは人間のもっとも人間らしい営みなのだから」
「電源設備や炉心の冷却装置の欠落があってはならないことなのと同じく、
金融・資本市場健全化のための施策もそれが不十分であれば、
それは恐慌という名の悲惨の巣窟となることを歴史は教える」
これも私の意見と同じ。
「この分野でマグニチュード9.0クラスの悲劇を人間は何度も経験している。
原発だけに問題の関心を絞ってはならない」
「顧客満足フェールセーフ」の発想と酷似。
「この際、本物に求められる耐震構造を確立したいものだ」
一方、朝日新聞の『経済気象台』
こちらのテーマは「不況を呼ぶ過剰な自粛」
「各種のイベント・公演会の中止や延期が相次ぎ」
「企業も入社式や行事を中止し、
個人旅行の予約も大幅に減っている」
大学も大学院も同様。
3月28日付ニューヨーク・タイムズの見出し。
「津波後の日本は自粛という新たな強迫観念に襲われた」
「犠牲者への弔意から日常の活動を縮小するようになり、
国民経済への悪影響が懸念される」と伝えた。
内閣府によれば、今回の大地震は、
企業設備の損壊などの生産減で、
2011年度の実質国内総生産(GDP)を1.3兆~2.8兆円押し下げる。
しかし、これには計画停電や原発事故の影響による生産減や、
消費・投資への影響は含まれていない。
「インフラなどの復興需要5兆~8兆円を上回る」と予想される。
「東京電力管内のGDPは213兆円で全国シェア41%」
「あれもこれもと無定見にイベントの自粛を続ければ、
マインド不況を呼び込みかねない」。
「マインド不況」
「被災者への連帯の気持ちは、
自らを被災者と同じ状況に置き、
その状況下で可能な範囲でしか行動しない、ということではない。
そんな過剰な自粛は、被災者にとって迷惑な話でしかない」
「人間が、与えられた使命、天職を、
誠実に実行すること」こそが、
「マインド不況」を食い止める。
小売流通業やサービス業に身を置いていると、
この構図が良くわかる。
良くわかるということは、現在、
いい仕事だということになる。
さて、4月5日から7日までの3日間、
被災された東北のスーパーマーケットを巡った旅。
その現地レポートも八章となる。
昨日の奥州市Kマートは東北自動車道の付近だった。
さらにそこから海側に寄った遠野市。
私は㈱商業界に入社したばかりの昭和50年代に、
この遠野に一人旅をしたことがある。
民宿に泊まって、山歩きをし、民話のふるさとを堪能した。
柳田國男が1910年(明治43年)に発表した『遠野物語』は、
日本民俗学の黎明を告げた説話集といわれる。
その東北の原点をとどめている遠野に、
㈱ベルプラスのビッグハウス遠野店がある。
ビッグハウスは東北CGCが実験店舗を盛岡市内に始め、
そのフォーマット・コンセプトの斬新さで、
全国のCGCジャパンの企業に採用された。
北海道のアークスは、
これまでの中核フォーマットにしてきた。
そのオリジンがベルプラス。
そしてベルプラスは独自にビッグハウスを展開している。
そのコンセプトは「一物三価」。
この一物三価が、震災後に、
インパクトを増した。
遠野は盛岡市や奥州市よりも太平洋に近い。
つまり震源に近い。
だから揺れはことのほか激しかった。
しかし今回の震災の特徴だが、
津波の影響は絶無。
ただし、停電、断水は起こった。
この店にはわざわざ本部から、
ベルプラス専務の高橋政敏さん(右)と、
取締役管理部長兼社長室長の菊地甚成さん(左)が、
やってきてくれて説明を受けた。
中央はこの店の副店長さん。
高橋さんはベルプラスの子会社社長を兼ねる。
その子会社は気仙沼でスーパーマーケットを展開。
気仙沼もご存知の通り、津波によって、街全体がやられた。
高橋社長の3店舗もすべて営業不可の状態に陥った。
しかしそれでも、被災後1週間で、
ドラッグストアが撤退したあとの150坪の物件を探してきて、
2週間で仮店舗のスーパーマーケットをオープン。
今、地域のお客様のライフラインを守る。
凄い商人魂だ。
店舗が3店津波にさらわれ、
あるいは津波に半壊されても、
すぐに新しい店を見つけてきて、
お客様のために営業する。
その店が大繁盛。
この「不屈の精神」こそ、今、日本全体に求められている。
さてビッグハウス遠野店。
被災翌日から店を開けて、店頭販売。
この点ではどこの店も同じ行動をとった。
チョッキリ価格で、端数切り捨て。
最初は水とカップラーメンなど。
それからペットフード、
オーラルケア、
トイレットペーパー、
缶詰。
一物三価だから、
お一人様1ケースという売り方。
それでも飛ぶように売れていった。
売れるものが少しずつ変わっていったが、
すべて一気になくなっていった。
11日金曜日に被災し、
12日土曜日は、
客数2600人で、売上げ550万円。
13日日曜日は2800人で700万円、
その後、3月12日~3月30日まで、
売上高は前年比190%。
被災前は前年比106%だった。
この遠野から1時間ほどのエリアにある都市がいずれも、
津波によって大被害を浴びた。
大船渡、陸前高田、大槌、釜石。
ガソリンが出回るようになると、
そこから1時間かけて、客は車で押し寄せた。
まとめ買いに適した「一物三価」。
ビッグハウスのコンセプトが、
不思議なことに震災直後のマーケットにぴったりしていた。
現在の店はシンプルながらも、
必需品に絞りこまれて、
最適の売場となっている。
ビッグハウス遠野店には、
明らかに「震災特需」が訪れている。
需要はある。
供給がなくなれば、
供給してくれる店に、
需要が集中する。
それが市場のメカニズムだ。
ビッグハウスのコモディティ・ディスカウント。
そして「一物三価」が、しばらく、
消費マーケットの大きなトレンドの中核となる。
そんなことを鮮明に教えてくれるビッグハウスの遠野物語である。
震災によって、全壊半壊し、
売上げがゼロとなる店。
一方、ゼロとなった店の売上げを吸収し、
2倍になる店。
後者を「震災特需」という。
震災特需の店は、
ゼロとなった店に変わって、
2倍売らねばならない。
1.5倍、2倍、3倍と売る。
それがその店の役目である。
売って売って売りまくる。
それが「一物三価」のビッグハウス遠野店に、
課せられた機能である。
現代の「一物三価の遠野物語」は、
柳田國男とはかけ離れた世界を描き出すが、
それは悲惨の中に人間の尊厳を見ることではあっても、
繁栄の中に堕落を見ることでは断じてない。
悲惨の中の売上げは、
繁栄の中の堕落ではない。
「震災特需」につつがなく対応することは、
「不況を呼ぶ過剰な自粛」よりも、
断然、社会的な活動なのだ。
<結城義晴>