「厚労省とんでもデータ」と良品計画・松井忠三の「困難・機会」
2018年の2月も最後の日。
一月、往ぬる。
二月、逃げる。
毎日新聞巻頭コラム「余録」。
役所の調査統計の信頼度を問題にする。
「世界最高クラスと思っていたら、
この騒ぎだ」
安倍政権の「働き方改革関連法案」
そこに出た「厚生労働省のとんでもデータ」
「裁量労働制は
一般労働より労働時間が短い」
首相答弁がこのデータに言及して、
審議は紛糾した。
きちんとした統計が出せるか否かで、
その役所の価値が決まる。
それは業界の協会や団体も同じことだ。
もちろん会社も、
きちんとしたデータが出せるか。
日々の売上げや利益はもとより、
在庫やロスに関しても、
「とんでもデータ」であってはならない。
「統計は街灯の柱と
酒を飲むようなものだ。
照明よりも支え棒として使える」
英国ウィンストン・チャーチルの言葉。
さすが。
その「支え棒」の統計。
1月商業動態統計|
商業販売額5.2%/卸売7.0%/小売業1.6%/好調スタート
1月家電チェーン統計|
販売額3821億円で2.8%増/「情報家電」11%超え
1月ホームセンター統計|
販売額は2409億円▲1.0%/ニトリ・コーナン客数増
1月ドラッグストア統計|
販売額5033億円7%増/食品・調剤医薬品は二桁増
1月SC統計|
2017年間既存店0.6%増/2018年1月は▲0.2%と苦戦
SC年末年始販売統計|
元旦を除いて快調・売上高2.9%増/客単価2.6%増
「支え棒」の基準数値のトレンドは、
頭に入れておきたい。
さて、2月が終わるが、
日経新聞最終面の「私の履歴書」
松井忠三さん。
良品計画元会長。
〈(株)松井オフィスホームページより〉
担当編集委員の田中陽さん。
ご苦労様。
とてもよかった。
特に私の印象に残ったのは二回。
第9回の「沖縄デー」
サブタイトルは、
「留置場で迎えた20歳の誕生日」
「1969年(昭和44年)4月28日昼すぎ、
私は神田周辺の公園にいた」
沖縄デー。
「中核の白ヘルメットに
タオルで顔の下半分を隠して
東京駅になだれ込む」
「小突かれ、蹴飛ばされ、盾で殴られた。
体の至る所に鈍痛が走る。
必死に抵抗するがこの時、
機動隊に敵意を抱いてはいない自分がいた」
「寄って立つ正義と正義の闘いであり、
衝突するのは当然だ」と思った。
「高架線で逃げ場を失い、
機動隊に抑えられ逮捕」
「なかなか保釈されずに
20歳の誕生日をここで迎える」
このころの新左翼運動のことは、
立花隆著『中核と核マル』に、
実に詳しく、丁寧に描かれている。
この事件のおかげで松井さんは、
教師になる夢を断たれ、
「流通革命」の西友に入社する。
特に印象に残ったもう1回は、
第18回の「MUJIグラム」
1994年(平成6年)8月、
取締役無印良品事業部長に就任。
当時の良品計画の現場。
「100人いれば100の売場があった」
そこで松井さんは、
「業務統一のマニュアルを
作ろうと決意した」
しかし反発される。
わかる。
当時のセゾングループは、
感性の組織風土。
チェーンストアの西友も、
ダイエーやイトーヨーカ堂、
ジャスコとはまったく違っていた。
案の定。
「『ロボットになれ』
とでも言うのですか。
セゾンは感性の会社ですよ。
今までのやり方を
真っ向から否定するのですか。
松井さんは素人だから」
そこで松井さんは信条を貫く。
『負けて勝つ』
「君らの意見も取り入れて
役に立つものを作りたい。
委員会を立ちあげるから
参加してほしい」
「全国から優秀な店長も集め、
どのような視点で売場を
作っているのかを繰り返し聞く」
たとえば、
衣料品をたたみ直す「おたたみ」。
「これを単純作業と思えば
面倒な仕事になる」
しかし「なぜ、この仕事をするのか」
考えるとおのずと答えが出てくる。
「商品を見やすくして
買っていただくためのもの」
「何のために、
誰のために、
どうして」
これを再認識する。
徐々にマニュアルができてくると、
陳列方法はイラストや写真を多用して、
「見える化」した。
「否定的だった課長も
元は優秀な店長だから、
現場への知見は十分にある。
次第に前向きになる。
知らない間に
仕事の仕方を変えてしまう
『ゆでガエル作戦』だ」
マニュアルは、
「MUJIグラム」
と名づけられた。
松井さん、ネーミングがうまい。
現在は、「毎日、改善提案が、
店からイントラネットを通じて、
本社に上がってくる。
月1回、採用の是非を
販売部が決め改訂される。
そして全店に徹底実行される
PDCAを繰り返す」
良品計画の本当の強みは、
ここにあると思う。
コンセプトは堤清二さんがつくった。
松井忠三さんはそのコンセプトを、
実行する組織風土に移した。
カ・カタ・カタチ論でいえば、
「カ」は堤清二。
「カタ」が松井忠三。
「カタチ」が現在も世界に進出する、
「MUJI」の商品と店と人だ。
「カ」は最も根源的なもの。
経営理念や社会的使命、
わが社のビジョンやコンセプト。
「カタ」は「カ」を実現する手段・方法。
たとえばわが社らしい技術、仕組み、
特有の組織とヒューマンリソース。
そして「カタチ」はできあがった成果物。
たとえば完成された商品、売場、
たとえば旗艦店舗、フォーマット。
「カタ」をつくるために、
松井さんは言い続けた。
「仕組みに血を流せ、
仏を作って魂を入れろ」
「どんどん接客レベルが
上がっていくのを誰もが実感した」
MUJIグラムは、
「売場に立つ前に」「売場作り」など、
13冊、計2000ページ。
「毎月更新され続けている」
いい話だ。
今日の商人舎流通SuperNews。
良品計画news|
中国深セン・北京に2つのMUJI HOTEL開業
堤さんの「カ」と松井さんの「カタ」は、
とうとう中国でホテルになってしまった。
2009年7月14日、
商品計画会長となっていた松井さんは、
肺がんの宣告を受ける。
しかしこの困難も、
手術に挑み、療養して、克服。
それでも2015年、
きっぱりと退任。
すごい。
1カ月間、学んだ。
西友に入ってからもう少し、
ドロドロしたところがあったはず。
上野光平さんも出てこなかったし、
渡邊紀征さんも登場しない。
それが私にはちょっと、
寂しかったかな。
ウィンストン・チャーチルは、
こんな言葉も残している。
Difficulties mastered are opportunities won.
困難を自分のものとすることは
機会を勝ち取ることである。
〈訳文は結城義晴〉
チャーチルはほんとうに名文家だ。
〈結城義晴〉