隻腕のレジェンド新田佳浩と歴史に対する責任の「記録と記憶」
連日の平昌冬季パラリンピック。
みたびの栄冠。
しかし東京では、
ソメイヨシノの開花宣言。
靖国神社境内の標本木の桜。
平年より9日早い。
そして去年より4日早い。
桜前線も「早仕掛け」。
だとすると「際の勝負」は華やかに、
そして「早仕舞い」かもしれない。
平昌はまだまだ寒い。
けれど終盤の種目ノルディックスキー。
男子クラシカル10㎞スタンディング。
新田佳浩選手。
3歳の時にコンバインに巻き込まれて、
左前腕を負傷、切断。
しかしその翌年の4歳から、
スキーを始めた。
小学生のころから、
クロスカントリースキーに打ち込む。
筑波大学体育専門学群に進学し、
現在、日立ソリューションズスキー部所属。
「チームAURORA(アウローラ)」
この分野ではトップアスリートで、
パラリンピックは6回連続出場のレジェンド。
何しろ1998年の長野パラリンピックから出ている。
2002年のソルトレイクシティでは、
クロスカントリー5kmクラシカル 銅メダル。
2010年のバンクーバーでは、
クロスカントリー10kmクラシカル立位と、
1kmスプリント立位で2つの金メダル。
そして今回の平昌でもすでに、
1.5kmクラシカル スプリント立位で、
堂々の銀メダルを獲得している。
このレースは3.3キロのコースを3周する。
スタート直後の上りに入る右カーブで、
スキーがコース表示にひっかかって転倒。
しかしすぐに立ち上がって、疾走。
2周目を終わって、先頭とは11.5秒差だった。
それでも隻腕のレジェンドはあきらめない。
最後まで冷静にラップを刻む。
そして24分6秒8の記録でゴール。
金メダル獲得。
ゴール後は雄たけびを上げて歓喜。
素晴らしいレースだった。
見ているだけで勇気が湧いてくる。
レース後のコメント。
「まだできる。
やれることもやりたいことも
いっぱいある」
37歳のこの意欲。
「エネルギッシュな力さえあれば、
何とかなる」
そうです。
スティーヴン・ホーキング博士も、
言い残している。
「車椅子の天才科学者」
「死は怖くないが、
早く死にたいとは思わない。
まずやっておきたいことが
山ほどある」
新田佳浩と全く同じだ。
それに引き換え、
残念なのは日本の政治の停滞。
昨日の日経新聞巻頭コラム
「春秋」
最近は辛口が多くて、素敵!!
「昭和20年8月。
終戦を前にした霞が関の官庁街で、
建物の庭先から煙が上がった。
資料や文書を焼却せよとの指示が
政府から出たためだ」
「作業は何日も続き、
あの戦争の中で
誰がどんな指示を出し、
物事がどう決まったのか、
相当の事実が闇へと消えた」
「これは日本にとって重大な失敗だった」
作家・保阪正康さんの指摘。
他国から戦争中の行いを非難される。
しかし「そんな記録はない」と反論できない。
「焼き捨てたんだろう」と、
言われてしまうからだ。
わが身可愛さのために、
歴史に対する責任が欠如する。
森友学園国有地売却を巡る文書問題。
「数百万の命が失われた戦争と比べれば、
発端となったことの大小に
だいぶ差がある」
その通り。
初めに安倍晋三首相が、
正直に、率直に、
事実を認めて謝っておけば、
よかったのだと私は思う。
アベノミクスの成果が、
それを許してくれたとも思う。
近畿財務局職員の自殺もなかった。
春秋は語る。
「しかし副産物として、いま、
日本で政治に携わる人々の
『記録』に関する認識に、
やや危なっかしい面があることを
期せずしてあぶり出した」
私たちは50年後、100年後に、
責任がある。
企業も店も、政治も経済も。
「50年後、100年後の人々から
判断を仰ぐための起点は正しい記録だ」
記録の文書がない場合には、
記憶による語りで補う。
「正確な記録と正直な証言が土台になる」
「証言者は事実を隠さず語り、
歴史への責任を果たしてほしい」
「春秋」――とてもいい。
レジェンド新田佳浩の記録も、
村岡桃佳や成田緑夢の記録も、
メダルは取れなくとも、
全力を尽くした選手たちのそれぞれの記録も、
50年後、100年後に残される。
それを観戦して感動した私たちの記憶も、
生きている限り残るに違いない。
その正しい記録と記憶を大切にしたい。
政治にそれが欠けていてはいけない。
〈結城義晴〉