シアーズ・ホールディングスの臨終と「奢れる者久しからず」
シアーズ・ホールディングス倒産。
15日未明、ニューヨーク州の破産裁判所に
連邦破産法11条を適用申請した。
この写真は現地時間10月13日午前11時、
開店直後の撮影。
サンフランシスコ市街の対岸。
ヒルトップショッピングセンター(SC)。
いわば「最後のシアーズ」。
帰国の前日、13日土曜日。
私の総括講義のあとに、
訪れた。
現地ではこの週末に、
シアーズが倒産すると見られていた。
だからもしかしたら、
この土曜の朝、シアーズは、
店を開けないかもしれない。
右手にこのSCの核店舗メイシーズ。
左手にはウォルマート。
モールに入ると閑散。
リージョナルショッピングセンターに、
ウォルマートが入居することは、
理論的にあり得ない。
商圏人口が異なるからだ。
ここではデパートメントストアが核になる。
だからJCペニーとシアーズ。
多分、ウォルマートの前には、
メイシーズに買収された百貨店があった。
だから、そのウォルマート。
2層だがスーパーセンターではない。
エブリデーロープライス。
ピンクリボン関連の島陳列。
ハロウィンのドレス売場。
ハロウィンプレゼンテーション。
グロサリーもハロウィンアイテム。
生鮮食品はほんのちょっと。
レジにはしっかり顧客が入っている。
このレジの外に出ると、
車がいっぱい。
こちら側から見ると、
ウォルマートの単独店である。
一方、モール側の出口を出ると、
もう撤退したテナントの店がある。
そしてウォルマートの対面に、
SEARS。
開店していた。
安心した。
クリスマスのプレゼンテーション。
いまだに芝刈り機が売られている。
30年も売場が変わらない。
ケンモアブランドの家電売場。
アメリカ中の家庭にあったこのブランド。
しかし今は顧客の姿も見られない。
アパレル売場も人っ子一人いない。
整然と並べられた商品たちが、
店の臨終の瞬間を待っている。
エンド陳列も悪くはない。
しかし変化がない。
通路上のハンガー陳列。
2階からエスカレーターで1階に降りる。
最後に入り口のところに、
ファミリーが一組。
ああ、シアーズが消えていく。
モールに戻ると、
このショッピングセンター自体の、
トランスフォーメーションのお知らせ。
中国資本によって、
「蛻変」する。
英語で「Retail Re-Imagined」
2019年から2020年。
さよなら、シアーズ。
シアーズ自身では「蛻変」ができなかった。
連邦破産法の裁判資料には、
負債額が約113億ドルと記載されている。
1ドル100円換算で1兆1300億円。
日経新聞によると、
「年末商戦へ向け運転資金を確保した上で
支援先を探す見通し」
しかし今のシアーズ・ホールディングスに
そう簡単に支援先が見つかるはずはない。
2018年1月決算で、
年商167億0200万ドル(1兆6702億円)。
24.2%の減収。
純損失は383億円。
店舗数は1002店。
2005年3月24日に、
倒産したKマートと、
業績不振のシアーズが経営統合して、
シアーズ・ホールディングスが誕生。
それから13年半。
現場は全く改善改革されず、
ずるずると倒産への道を歩んだ。
シアーズの売上高は110億8400万ドル、
Kマートは56億1800万ドル。
シアーズが570店、
Kマートは432店。
販管費はシアーズが33.2%、
Kマートが25.9%。
粗利益率はシアーズが22.6%、
Kマートが18.1%。
もう惨憺たる状態。
ピーター・ドラッカーは、
「現代の経営」において、
「シアーズ・ローバック物語」を書いた。
いわく、
「事業とは何か。
事業のマネジメントとは何か
を知るうえで、
シアーズ・ローバックに勝るものはない」
1886年、リチャード・ウォーレン・シアーズが
通信販売企業として創業。
ここにアルヴァ・C・ローバックが参加。
1893年、シカゴに、
シアーズ・ローバック社が設立された。
その後、
ジュリアス・ローゼンワールド登場。
中興の祖ローゼンワールドによって、
シアーズは全米トップ企業へと邁進する。
私が初めてアメリカを訪れたのが、
1978年だが、
シアーズ、シアーズ、シアーズ。
そしてKマート、Kマート、Kマート。
さらにアルバートソン、アルバートソン。
みな、盛者必衰の理か。
奢れる者、久しからず。
アマゾンにやられたといった論調がある。
それが最後の引き金となったかもしれないが、
シアーズはもともと通販業者。
130年後に、新しい通販業者が、
ウォルマートをも凌駕するかとみられる。
シアーズ自身が「蛻変」できなかった。
それが最大の理由だ。
シアーズを訪れた翌日、
私はサンフランシスコ国際空港から飛び立った。
雲に覆われるカリフォルニア。
そのあと千切れ雲。
ロサンゼルスの高層ビルが、
雲の合間に見えてきた。
そして大ロサンゼルス。
アメリカ第2の都市を高速道路が貫く。
ロサンゼルス国際空港で乗り換えて、
再び飛び上がるとサンタモニカ湾。
太平洋岸を北上。
太平洋上は雲雲雲。
11時間半後、日本列島。
九十九里浜。
そして千葉県の穀倉地帯。
日本に帰ってきました。
しかしずっと「最後のシアーズ」が、
心に残っていた。
奢れる者、久しからず。
〈結城義晴〉