ドラッカーの分身/上田惇生先生ご逝去、心からご冥福を祈ります
Everybody! Good Monday!
[2019vol3]
2019年第4週。
3度目の月曜日。
昨日が二十四節気の「大寒」。
節分までの期間が、
暦上は一年で一番寒い季節。
その寒い時期に訃報。
上田惇生先生。
享年80。
病気ご療養中、
50日ほど前から意識不明になられて、
1月10日、ご逝去。
すでに家族葬によって、
葬儀は執り行われた。
心からご冥福を祈りたい。
ピーター・ドラッカーの翻訳者として、
文句なしの第一人者。
しかしその仕事や生き方は、
翻訳の領域を超えて、
ドラッカー思想の伝道者であった。
ドラッカー教授ご自身が、
「もっとも親しい友人」と語り、
「日本での分身」とまで称した。
ドラッカーの主要著作のすべてを翻訳。
それも名著は何度も何度も、
推敲し翻訳し直して再出版。
あの膨大な言葉の洪水のような、
ドラッカーの文章の
一句一句、一文一文にこだわって、
何十年も経ってから、
ピタリの日本語を発見し、
訂正した。
上田先生は俳人でもあって、
だからドラッカーのやや難解な英語が、
わかりやすくてピリリとした、
見事な日本語になった。
1938年、埼玉県のお生まれ。
慶応義塾大学経済学部を卒業し、
一般社団法人日本経済団体連合会に入って、
会長秘書、国際経済部次長、
さらに広報部長を歴任。
その間にドラッカーの翻訳も手掛ける。
その後、ものつくり大学教授などを経て、
同大学名誉教授、立命館大学客員教授。
ドラッカー学会の初代代表を経て、
2012年4月より学術顧問。
私は川勝利一さんのご紹介で、
上田先生とお会いして、
一度で魅了されてしまった。
川勝さんは商人舎ExecutiveCoordinator。
上田先生から高い評価を受け、
厚く信頼されていた。
その後、コーネル大学ジャパンや、
商人舎ミドルマネジメント研修会で、
毎年、特別講演をお願いした。
一言一句を絞り出すように語る。
ドラッカーのすべての言葉が、
上田先生の頭の中にある。
講義はそれらを体系づけ、
上田先生ご自身の知見を盛り込んで、
ゆっくりと丁寧に語る。
時には思いが、
奔流のように流れ出てきて、
現在の政治や経済への
鋭い批判も飛び出す。
質問にはやはり、
膨大なドラッカーの文献から、
最適なものを頭の中で検索し、
妥当な解を導き出して、
答えてくださる。
ふっと思い出したように笑顔が出る。
それは上田先生ご自身が、
ドラッカーの世界に
たたずんでいるかのようだった。
受講生はその本物の一言一言を、
噛み締めつつ、話を聴く。
幸せな受講生たちだった。
もう、上田先生のお話を、
聴くことはできない。
突飛な質問にも、
いやな顔は見せず、
その質問の真意を探る。
そして解を発見すると、
子どものように喜びつつ語る。
もう、上田先生の知見に、
頼ることはできない。
講義の最後にはいつも、
スタンディングオベーションとなった。
私も上田先生のご了解を得て、
1冊だけ書いた。
『店長のためのやさしいドラッカー講座』
上田先生には帯にお言葉をいただいた。
ゲラの段階ですべてに目を通された。
月刊商人舎では2014年7月号特集。
The Retailer’s Druckerism
ドラッカー・マネジメントの学び方・極め方
上田先生に全面的にご助力いただいた。
上田先生の言葉はシンプル。
「お客がニコニコする店、
社員がニコニコする会社、
それをつくりなさい。」
ドラッカーは1909年11月19日生まれ、
2005年11月11日没。
95歳まで生き抜いた。
上田先生は15年分、追いつかなかった。
それが先生ご自身、唯一の心残りだろう。
しかし上田惇生の文章は残る。
それを私たちは噛み締めつつ、生きる。
心から哀悼の意を表したいと思う。
さて今日は朝から東急東横線。
多摩川を渡ると、富士が見えた。
井の頭線で西永福へ。
サミット(株)本部。
赤迫伸一さんの話を聞く。
執行役員/店舗サポート部マネジャー。
いつもの中村聖さんが、
コーディネートしてくれた。
広報室マネジャー。
1時間半も話し込んで、
赤迫さんの考え方と、
サミットの社風などが浮かび上がった。
ありがとうございました。
そして今夜は、
スーパームーン。
地球から見た月の円盤が最大になる。
商人舎・倉内綾子撮影。すばらしい。
それにしても上田先生。
「お客様も社員も、
ニコニコする店。
簡単なことです」
ではみなさん、今週も、
カスタマーもアソシエーツもニコニコで、
Good Monday!
〈結城義晴〉