一神教による『ゴールデンルール』とカスタマーの謎
「さらば、すべて、人にせられんと思うことは、
人にもまた、そのごとくせよ」
昨日の続き。
あらためて、この『ゴールデンルール』の意味は、
「自分が、そうしてもらいたいと思うことは、すべて、
同じように、お客様にしてあげなさい。
自分が、そうありたいと思うことは、すべて、
同じように、店員にしてあげなさい」
だからこの言葉を徹底していくと、
顧客満足のカスタマーサティスファクションと、
従業員満足のエンプロイーサティスファクションが、
両立してくる。
しかし、ジェームズ・キャッシュ・ペニーは、まもなく、
「頑固な、人使いの荒い経営者だ」
というのが、評判になり、
それが、ペニーの特長となった。
ペニーは、ストイックな商人だった。
彼についてくることの出来る店員は、
数少なかったのである。
倉本長治はこう言っている。
「バイブルや論語には、商売のことは書かれていない。
しかしそのバイブルや論語にこそ、
商人にとって最も重要なことが書かれている」
キリスト教をはじめとする一神教には、
商売に通ずる貴重な教えが多数、ある。
イスラム教も、ユダヤ教も、一神教である。
みな、神との契約と、汝の隣人を愛せよ、と教える。
しかし、彼らの愛は、
同じ宗教を信じる者に対しては無限であるが、
異教徒に対しては、無慈悲でよいとする。
無慈悲というよりも、異教徒には逆に、すこぶる攻撃的でさえある。
だから、中世のキリスト教徒による十字軍があったし、
現在のイスラム教徒によるジハードがある。
ペニーの、
「さらば、すべて、人にせられんと思うことは、
人にもまた、そのごとくせよ」
もまた、同様である。
私の商売に共感してくれる顧客には、無限の愛を。
これが特定の、常連の顧客、
すなわち、私の言う「カスタマー」である。
「店は客のためにある」という言葉によって表現されるものである。
私の経営に賛同してくれる店員にも、無限の愛を。
これが、「店員とともに栄える」の意味である。
社員や店員を、野放しで甘やかすことでは、
断じて、ない。
このポイントを間違えると、
とんでもない店や企業が生まれてくるのである。
今日は、「伊勢丹と三越の統合の意味」に関して書こうと考えていたが、
なぜか、昨日の続きとなってしまった。
お許しいただきたい。
しかし、いいだろう。
『ゴールデンルール』は、
きわめて重要なことだから。
絶対に、誤解しては、ほしくないことだから。
「三越・伊勢丹、来春に統合」というニュースを、
「来週に統合」と報道したおっちょこちょいのテレビ局もあったほどだから、
急ぐことではない。
来週ならば、私も急遽、コメントしなければならないが、
来春であるだろうことは間違いないのだから。
明日こそ、「クリティカルマスと百貨店の統合」を解き明かそう。
『ゴールデンルール』にも深くかかわるテーマなのである。
乞うご期待。
<㈱商業界社長 結城義晴>