国際チェーンストア協会日本事務局長・西村哲が甦った夜
12月10日、東京・虎の門パストラル。
「アーマ・ジャパン会」の忘年会が開かれた。
アーマ・ジャパンは故西村哲さんが代表取締役だった会社。
アーマ・ジャパンはCIES(国際チェーンストア協会)日本事務局を担い、
西村さんは、その事務局長として活躍された。
コーネル大学のセミナーや通信教育も貴重な事業として、展開された。
西村さんが、3年前の11月6日、急逝されて、3年が経過する。
この夜は、西村さんに薫陶を受けた人々、
コーネル大学の卒業生等30数名が集まっての忘年会。
ニッコーレン(株)社長の本間健伍さんが、
すべてを仕切ってくださった。
心より、感謝。
ご挨拶は、日本生活協同組合連合会会長・山下俊史さん。
「最近、何かと露出しておりますが、
胸を張ってお話しさせていただいております」
山下さんは、この夏、会長にご就任されたばかり。
とたんにミートホープ問題が飛び出した。
キチンと対応された姿勢は、見事。
『生協法』が50数年ぶりに改正された。
生協のかじ取りは、極めて、重要な仕事。
よろしく頼みます。
山下さんと牧田きみよさん。
その後、全員が一言、挨拶。
この感じは、西村琉。
ずっとアーマ・ジャパンで、
西村さんのサポートをしていた牧田きみよさんも、
わざわざ富山から来てくださった。
元ダイヤモンド・フリードマン社長の岩崎幸久さんも、
顔を見せてくださった。
【結城義晴の述懐】
私は、30年前、(株)商業界に新卒として入社し、
『販売革新』編集部に配属された。
私の入社後の9月、西村さんは、
『チェーンストアエイジ』編集長というポジションを投げ打って、
アメリカのコーネル大学に留学された。
それだけでも凄いと、私は思った。
同時に西村さんは『販売革新』の特派員となって、
頻繁にアメリカレポートを送ってくださった。
特派員・西村哲との窓口になったのが、新米記者の私だった。
毎月の原稿のやり取りや、
特派員手当の手配を、
私は担当した。
入社2年目に、全米チェーンストアの取材に回った時には、
ニューヨークで西村さんのお世話になった。
その後、私たちの交流は、
流通に関するジャーナリストという関係以上に深まった。
私が(株)商業界の経営陣に入り、
現場の第一線を退いたときにも、
お祝いをしてくれた。
そのときにも、あの、人懐っこい笑顔で、
励ましてくれた。
「まあ、まあ、飲もっ」
今、私は、西村さんの仕事の一部を、
引き継ごうとしている。
コーネル大学関係の事業である。
不思議なご縁を感じざるを得ない。
あの世で、西村さんが、言っている。
「結城さん、あなたなら、立派にやれる」
「まあ、まあ、飲もっ」
合掌。
中締めは、第1期生、イトーヨーカ堂の松下伸吾さん。
三本締め、決まった。
最後の最後に、全員で記念写真。
全員で、ポーズ。
元気がないので、Vサイン。
まだまだ、親指立てて、ポーズ。
まだまだ元気が足りない。
拳骨でポーズ。
誰だ! パー出してるのは?
岩崎さんでした。
皆様、ありがとうございました。
西村さん、ありがとうございました。
<結城義晴>