ジャーナリスト辻和成さんを悼む
辻和成さんが、逝った。
2007年12月8日、土曜日。
享年55歳。
フリージャーナリスト。
本名、森田和成。
12月1日に脳幹出血で倒れ、
意識が戻らず、
7日間頑張ったが、
残念なことに、
そのまま帰らぬ人となった。
私は、11月27日、28日、辻さんとご一緒した。
倒れる3日前だった。
東京・赤坂のグランドプリンスホテル赤坂。
ペガサスクラブ政策セミナー。
一番後ろの列の隣の席。
並んで座って、学んだ。
辻さんは足を引きずっていた。
「大丈夫?痛風じゃないの?」と声をかけたが、
「いや、違う。大丈夫、すぐ治る」
熱心にメモを取り続けた。
㈱商業界の発行する『商業界』『販売革新』『食品商業』、
そして『飲食店経営』『コンビニ』。
さらに『月刊食堂』『商工にっぽん』。
こういった専門経営雑誌にとって、
辻和成は、欠かせないジャーナリストだった。
一言でいえば、
「編集長の代わりができるジャーナリスト」。
私も、『販売革新』『食品商業』の編集長をやっていたが、
私の代わりに辻さんがインタビューや取材に行ってくれる時は、
安心していた。
編集長の代わりが務まるし、
場合によってはそれ以上の仕事をしてもらえる。
実際に、丁寧に取材し、裏を取り、
厳密に、詳細に、原稿にする。
まさに、この面でのプロだった。
本物のジャーナリストだった。
プロや本物が少なくなった。
「男は黙って、原稿勝負」
昭和27年生まれ、私と同い年。
宿澤広朗が逝ったのと同じ年。
私は、辻和成をライバルと見ていた。
出版社㈱商業界の経営という仕事を離れ、
やっと同じ土俵で競い合おうと考えていた矢先の逝去。
無念でならない。
しかしジャーナリストには、書いたものがある。
物書きには、書き物が残る。
そして子供たちも。
辻さんの3人のお嬢さんに会った。
しっかりした美しいお嬢さんたち。
<結城義晴>
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結城さん、はじめまして。ひとさまのブログにコメント入れるのは初めてですが、私も昨日、畏友・辻和成の葬儀に出席したので。高校生の時から40年弱、長い友人でした。
結城さんのブログで、彼が最後まで「歩く誠意」(と、よくからかったりしました)であったことを、悼ましさを噛み締めながら首頷しています。
過ぐる四半世紀前、彼と2人で麹町の小さなワンルームマンション
を借り、取材と原稿書きに奔走した日々を思い出します。
年鑑や雑誌別冊などを丸受けし、2人で完パケする作業では、お互いが編集者で執筆者だから、連夜喧嘩の連続でもありました。
柴田書店の仕事を除き、主なフィールドは別で、彼は専門出版社の仕事に注力、小生は講談社や小学館などでアンカー稼業へ…。
その後、会社を一緒につくったりしながら、80年代末に小生は別の道に踏み出しました。彼は踏みとどまり、相変わらず丁寧としかいいようのない仕事を続けました。疎遠になっていた時も、
書店店頭で彼の文章を読み「あ、辻やってるな」と…。
10日前、彼の奥様から突然電話をいただき、驚愕。久しぶりの邂逅は、やんぬるかな、ICUのベッド際でした。
職業人としての辻和成を支えてきたのは、結城さんはじめ、真摯な編集者諸兄でしょう。僭越ですが、深く膝を折り、御礼申し上げます。…失いがたき友のために。
横江茂様、ありがとうございます。
「丁寧としかいいようのない仕事」
まさに辻さんの仕事ぶりですね。
雑な仕事ができない。
手抜き仕事はできない。
私も、このことは常に肝に銘じなければならない、と
つくづく思います。
お二人の、若いころの濃密な交流が、
甦るようなご投稿、感謝いたします。
合掌。