あのドラッカー学会代表・上田惇生先生からコーネル大学ジャパンへのご協力・快諾頂く
商人舎発[今月の標語]「節約、倹約。もったいない」
6月3日、大宮。
パレスホテル1階喫茶室。
あのピーター・ドラッカーの著作のほとんどを、
日本に翻訳・紹介されている上田惇生先生にお会いする。
ものつくり大学名誉教授。
ドラッカー学会代表。
上田先生は、1938年生まれで、今年70歳になられる。
ドラッカー先生自身、「もっとも親しい友人」と言い残されていて、
「ドラッカーの日本の分身」とも呼ばれている。
上田先生によるドラッカー本の日本語での翻訳が、
フランス語やドイツ語など10ヶ国語に翻訳されて、
各国で読まれているという。
それくらいドラッカー思想を的確にとらえた翻訳者なのだ。
その憧れの上田先生、
私、初対面だった。
私が、何事も打ち明け、最も信頼する友人の川勝利一さんに、
仲介の労を取っていただいた。
川勝さんは、世界最大のトレイメーカー・中央化学㈱の理事。
この世界に川勝あり、といわれる名物人物。
ズバリズバリとものを言い、
それが的を射ているために、
多くの経営者から厚い信頼を得ている。
上田先生からも、極めて熱く信頼されていて、
したがって、私のお願いも、
川勝さんの口添えがあって、
上田先生、快諾してくださった。
すなわち、この秋にスタートする「スーパーマーケット大学」で、
講義していただく、というお願い。
コーネル大学リテールマネジメントプログラム・オブ・ジャパン。
感謝に堪えない。
米国アイビーリーグのコーネル大学。
リテールマネジメントを教える大学として、
全米第一の権威と内容を有する。
そのコーネル大学リテールマネジメントプログラムをベースに、
日本で、スーパーマーケットのマネジメントを教える学校。
私は、このコーネル大学オブ・ジャパンにおける経営哲学の根本に、
ドラッカー思想を据えたいと考えていた。
だから日本最高の先生を招聘したいと思った。
それが、叶った。
「私は、英語が嫌いです。
日本語でキチンと語る」
意外な言葉が上田先生から発せられた。
と言いながら、英語の分厚いコピーを携えて、
いつも英語漬け。
ユーモアと謙虚さを備えた素晴らしい先生。
私の話も、熱心に、聞いてくださって、
その上で即決。
上田先生には11月と5月の2回、
講義いただくことがこの場で決まった。
コーネル大学オブ・ジャパンの事務局と川勝さんの全員で記念写真。
後列左がFMIジャパン事務局・中間徳子さん。中央が、川勝利一さん。右が、コーネル大学オブ・ジャパン事務局の大高愛一郎さん。
そして私たち、この場で、
上田惇生推薦によるドラッカー学会員になることになった。
2005年11月11日、ドラッカー先生が逝去された。享年95歳。
ドラッカー学会は、その8日後の11月19日、
先生96歳の誕生日となるはずだった日に設立された。
「ドラッカーの分身」上田惇生は、その代表。
これから、上田先生との長いおつきあいが続く。
これまでは、一方的に本を読んで勉強するばかりだった。
私ににまた、新しい世界が開けてきた。
感謝。
その後、東京・神田に戻って、
日本セルフ・サービス協会。
ウェグマンズの吉野邦夫さんが帰国していて、
久しぶりに固い握手。
現在、「カテゴリー・マーチャント」という肩書。
「ジャパニーズ スペシャルティ プロダクト」担当。
いいですね、「Category Merchant」という語感。
ウェグマンズCEOのダニエル・ウェグマンさんの信頼厚く、
獅子奮迅の活躍。
本当にうれしい限り。
ウェグマンズ最新最大店舗の話題、
その中に展開する新フォーマットの話、
最古店ではあるが最高効率の店の話。
それに北米伊藤園CEOの本庄洋介さんの活躍ぶり。
話題と興味は尽きない。
あっという間に時間は去ってゆく。
そして吉野さんとのお別れ。
固い握手。
台風5号は去ったものの、雨模様。
しかし私には忘れられない日となった。
すべての人に心より感謝。
<結城義晴>