「現場第一」と「どっこい卸は生きている」
昨日は、埼玉県飯能へ。
恒例の、流通業界の仙人・杉山昭次郎先生との熱談。
アカデミズムとジャーナリズム、そしてジツムのお話。
商人舎ホームページでブログ連載をしていただいている。
「杉山昭次郎のときどきエッセイ」
現在は「スーパーマーケットの競争力強化の視点」の連載。
「第11回 マーケティング――鳥の目虫の目」
その杉山先生との熱談、何と6時間以上にも話し込んだ。
結論は、アカデミズムやジャーナリズムは、
「現場第一」の、
すなわちジツムを前提としたものでなければならないということ。
作家はかつて三文文士といわれた。
俳優は、河原乞食とさげすまれた。
商業も農業や工業よりも低位に位置づけられた。
外食業・サービス業は、
商業と同様に貶められた。
それらすべてが、正当に評価される社会にすることが大切。
そんな話を仙人先生と繰り広げた。
さて、北朝鮮の二度目の地下核実験。
北朝鮮に友好的とされるロシア、中国も、
今回の実験を批判。
国連安全保障理事国決議で、
制裁強化の方向。
キム・ジョンイル総書記を表現する。
「右手に菊、左手に核」
「右手の菊」とは、
良く出てくる写真の中で、
キム総書記がもっている小さな手帳の表紙に記してある菊の花のこと。
すなわち権力の象徴。
彼は、権力に加えて武力を持とうとしている。
そのキム総書記にも、
依然として替え玉説が付きまとう。
しかし、権力と武力で、
問題が解決したことはない。
人々が幸せになったことはない。
それが最も大切なこと。
日経新聞のコラムに「経営の視点」というのがある。
昨25日付の記事のタイトルは。
「どっこい卸は生きている」
私も賛成。
編集委員の田中陽さんが書いている。
「食文化という言葉があるように、
食生活には特別の地域性がある。
地域密着の精度を高めれば高めるほど、
多品種少量販売の世界になる。
大量生産・販売のPBとは真逆だ」
多品種少量の商品こそ、
ノンコモディティグッズ。
大量生産大量販売の商品は、
コモディテグッズ。
「地域情報を熟知し、
それを小売業に伝え、
商品供給する。
それが地場の卸会社だ」
コモディティだけの世界ならば、
「問屋無用論」も「問屋中抜き論」もあるかもしれない。
それが「流通革命」というならば、
その意味での流通革命は進みつつある。
ヤオコー川野幸夫会長の言葉が、
このコラムの中で引用されている。
「卸とは運命共同体」
それはヤオコーが「ライフスタイルグッズ」として、
ノンコモディティを重視しているからだ。
ロジスティックスでも卸売業と協働しているからだ。
日本の食生活は、「廃藩置県」の前の、
藩の時代の地域性を残していると思う。
豊かさのひとつを、人々は、
この歴史性や地域性に見出している。
この地に生まれ、この地に生きる。
そのためにこの地の食文化を守り、楽しむ。
それがノンコモディティのひとつとなる。
それを支えるのが卸売業であり、
地域小売業である。
卸売業には、ながい淘汰の歴史があった。
しかし、現在まで生き残った卸売業には、
「どっこい卸は生きている」という社会的機能がある。
その社会的機能におけるイノベーションが、
卸売業というくくりのビジネスにも求められていることは、
小売業や製造業と変わらない。
そしてイノベーションは、
「現場第一」の思想から生まれるのである。
<結城義晴>
2 件のコメント
「どっこい卸は生きている」という社会的機能がある。の記事 私の会社(卸売業&製造業)でも話題になり、記事のコピーが社員に回覧されました。
ちょっぴり嬉しくなりました。
この業界(流通業)以外の方に、卸売業(問屋)と言ってもあまり仕事の中身は理解されません。
黒子役と言った役割ですから、外部から見えないのも当然です。
しかし 日本の卸売業は流通業の最も肝心な、製造と小売、川上と川下を繋ぐハブの働きをしています。
いまちゃん、いつも感謝します。
ご返事遅れ、恐縮。
日本の卸売業、重要な役目を担っています。
それはもう、はっきりしてきました。
それぞれのメーカーは、少品種大量で生産します。
卸売業は少品種大量の多数のメーカーから、
多品種・多品目の商品を集めて、品揃えします。
この品揃えの機能は、情報の機能とともに、
卸売業にしかできません。
どんなに優れた小売業の商品部も、
卸売業から見ると、少品種大量だからです。