ペガサス2500回記念セミナー、岡田卓也、小田豊、似鳥昭雄のフィランスロピー講演抄録
衆議院解散。
40日間におよぶ真夏の選挙戦が展開される。
その間の経済と国民生活への空白の損害は、
最小限にとどめたい。
そして、商業・サービス業にかかわる人々の、
投票率を高めたい。
私の願い。
さて、日本百貨店協会から6月の発表。
半年間の売上高は前期比11%のマイナス。
1割以上の落ち込み。
二桁の売上げ減少は初めてのこと。
衣料品、身の回り品、雑貨、家庭用品が、
軒並み14%前後のダウン。
食品も3.8%のマイナス。
これで百貨店の年間総売上高が7兆円を割りそうな気配。
一方、『日経MJ』は、
2008年度のコンビニエンスストア調査を発表。
1店当たり平均日販は、
第1位・JR東日本リテールネット66万円
第2位・大津屋65万円
第3位・小田急商事64万円
そして第4位に、セブン-イレブン63万円。
第5位は、シー・ヴイ・エス・ベイエリア59万円
以下、第8位にローソンで52万円、
第10位、ファミリーマートで51万円、
12位、サークルKサンクス50万円、
13位、ミニストップ49万円。
私は、コンビニ業界は、10年くらいのタイムラグで、
スーパーマーケットを追いかけていると見ている。
ディスカウントしないコンビニが、
やり始めた。
グロサリーのプライベートブランドをもたないコンビニが、
持ち始めた。
惣菜の店内加工をしないコンビニが、
揚げ物を揚げ始めた。
生鮮を置かないコンビニが、
置き始めた。
はたして、次は?
さて、昨7月21日は、
ペガサスクラブ第2500回記念政策セミナー。
東京・グランドプリンスホテル赤坂五色の間。
冒頭でペガサスクラブ主宰者の渥美俊一先生は、
2500回を振り返って、吐露し、述懐した。
日本にチェーンストア産業を構築するために、
一貫してフィールドワークの手法をもとに、
帰納法の考え方で、開発し、研究してきた。
そして演繹法によって普及、発展させてきた。
しかしアメリカにも、
200店を突破させる具体的ノウハウは、
残っていなかった。
みな、500店、1000店、3000店になってしまっていたから。
しかしセブン-イレブンとマクドナルドが、
日本にそのシステムをもちこんで、
何とか200店突破を成し遂げた。
渥美先生に続いて、記念公演は、
イオン㈱名誉会長相談役の岡田卓也さん。
「イオン環境財団と岡田文化財団の活動」
「戦後焼け跡にただ一つ残ったものは、
『岡田屋さん』の信用だった。
その信用をもとに商売に励んでいたが、
規模が小さなときにも、社会貢献を考えた。
「風樹会」という交通事故で親を亡くした高校生の奨学金。
小さな会社であっても、地域貢献はできる。
合併して、会社が大きくなったら、
郷里に恩返ししたいと考えた。
そこで文化財団をつくって、
美術館を建設したり、絵画を寄贈したりした。
さらにイオン環境財団をつくって、
木を植え始めた。
「1%クラブ」という名称で、
税前利益の1%を環境問題の解決に使う。
メーカーや他の産業でもできるが、
小売業は、自分の店のお客様とともに、
木を植えることができる。
小売業にしかできない社会貢献だと思う。
現在は、環境の先を考えて、
COP10(生物多様性条約第10回締約国会議)に取り組んでいる。
信用をつくり、のれんを守る。
その上で、自分の人生の中で何を残すか?
いま、それを考えている」
岡田さんは、事業には関与していない。
もっぱら財団の仕事。
そのボランティアの仕事で先を考えている。
「自分の人生で何を残すか」
私は、ピーター・ドラッカー先生の言葉を思い出していた。
「あなたは何をもって憶えられたいか?」
岡田さんの言葉は、実践が伴っているだけに、とても重い。
そして、現在も、先のことを考えている。
凄い。
続いて、六花亭製菓社長の小田豊さんの記念講演。
「六花亭の地域振興支援活動」
小田さんは、北海道・帯広の銘菓・六花亭の二代目。
先代の小田豊四郎さんは、
岡田卓也さんらと並んで商業界のエルダーだった。
エルダーとは、商業界の実務家最高指導者の意味。
その小田エルダーの遺志を継いで、
独特の事業展開と社会貢献活動をするのが小田豊さん。
まず、北海道の食文化の発展に功績のある人を表彰する「小田賞」。
食に関する文献を集めた六花文庫の収集展示。
児童詩集「サイロ」の発行。
これらは小田エルダーの始めたもの。
豊さんは、それに加えて、1992年、中礼内美術村をつくった。
そこには相原求一朗美術館、小泉淳作美術館、
北の大地美術館、夢想館などの美術館が並ぶ。
さらに2007年にオープンした六花の森は、
野草園を中心に、
坂本直行記念館、はらたかよし作品館、
サイロ50周年記念館などが設けられている。
小田さんは「すべては出会いの中から始まる」という。
そして「フローとストック」の考え方に至る。
「瞬間という時間、数百年という時空」
「使い捨てる価値観と使い込む価値観」
そんな思いの中から、
美術館の村や六花の森の発想が浮かんだ。
本来は、菓子づくりで社会貢献する。
その上で、美術や芸術でフィランスロピー活動を展開する。
私は、『商売十訓』の第八訓を思い出していた。
「公正で公平な社会的活動を行え」
倉本長治先生は、店は客のために、本業に徹せよと説いた。
その上で、ボランティア活動の尊さも教えた。
それが、この第八訓である。
三番目は、㈱ニトリ社長の似鳥昭雄さん。
「ニトリの事業外社会貢献活動」
似鳥さんは60歳になるまで、事業に専念しようと考えていた。
その通り、会社は、絶好調を続け、
日本最大のホームファッション・チェーンストアへと成長を遂げた。
そこで60歳から、メセナ活動に入った。
基本の考え方は、
「木と人を育てる」
ニトリは、家具をつくるために木を切る。
だから木を植える。
そしてその木を育てる人を育てる。
まず、ニトリ北海道応援基金を始めた。
①地域の文化や伝統などの発展・継承活動を助成する
②地域の環境保護や育成・保全活動を助成する
③北海道が元気になる活動を助成する
この中から「ふるさと北海道1000万本植樹計画」が生まれ、実行されている。
さらに似鳥国際奨学財団は、アジアからの留学生を支援する。
北海道学園大学寄付講座では、「チェーンストア理論」を、
似鳥さん自ら講師となって14回講義する。
これらは、「人を育てる」活動。
似鳥さんは、これらの活動の失敗談や反省点を交えて、
ユーモアたっぷりに語った。
場内では、爆笑が続いた。
ペガサスセミナー2500回の中で、
これほどに笑いをとった講師はいない。
しかし、メセナにおいても事業においても、
似鳥さんらしいリアリティにあふれた展開がある。
フィランスロピーでは北海道に絞り込んだ。
北海道の「木と人」に集中した。
事業では、ホームファッションに絞り込んだ。
そしてどちらも成就した。
「いま、大学をつくりたい。もしくは買いたい。
つぶれる大学がでてきそうだから」
最後にまた笑いをとって、似鳥さんの講演は終了。
私たちは、仕事にコミットする。
本業に専念する。
しかし、仕事の合間を縫って、
社会とコミットする。
地域のために働く。
ほんの少しでもよい。
似鳥さんのように60歳を超えてからでもよい。
その代り60歳までは、似鳥さんのように働きたい。
岡田さん、小田さん、似鳥さん。
それぞれのフィランスロピー。
いい講演会だった。
講演会のあとは、夕方5時半すぎから、2500回記念パーティ。
冒頭で渥美先生のご挨拶。
しんみりとしていて、
もともとシャイな渥美先生らしい話だった。
その渥美先生から、岡田卓也さんに花束贈呈。
2500回のセミナーに参加してくれた会員企業代表という意味。
そして岡田さんからお礼のご挨拶。
「チェーンストアをつくり、社会貢献するために、
仕事に邁進してきた。
士農工商の序列はおかしいんだということを、
示さなければいけない」
力強い言葉だった。
その後、鏡割り。
左から、友和会長・小林肇さん、
ナフコ会長・深町勝義さん、
コメリ会長・捧賢一さん。
そして東京インテリア家具社長・利根川弘衛さん、
AOKIホールディングス社長・青木拡憲さん、
HIひろせ社長・廣瀬舜一さん、
エイヴイ社長・木村忠昭さん。
「ヨイショ、ヨイショ、ヨショー!」
目出度く、開かれました。
そして、乾杯の発声は、
最年長79歳の小林さん。
和やかな懇親。
渥美先生のご子息の俊英さん、明さん、哲さん、
そして六朗さん。
今日は、おめでたい席なので、兄弟が揃った。
私も、それは嬉しい。
小田さんは、講師なので看板の下で、名刺交換。
ご苦労様でした。
今度、立教のサービス・マーケティングの学生と一緒に、
ホスピタリティを学びに行きます。
コーネル大学RMPジャパンの第二期生になるかもしれません。
よろしく。
渥美先生には、テレビクルーがついて、最後まで撮影と取材。
平和堂社長の夏原平和さんが、お相手していた。
ペガサスセミナー第2500回。
こういった啓蒙・教育機関が商業の発展を支えてきたし、
これからも支え続けねばならない。
私は、今日から、アメリカ・ニューヨーク州。
イサカのコーネル大学へ。
コーネル・ジャパンの卒業記念旅行。
私たちの教育機関も、しっかりと活動しなければならない。
<結城義晴>