「尖閣沖中国漁船衝突ビデオ事件」への朝日、読売、日経、毎日、産経、東京、神奈川各紙の一面コラム批評
「尖閣沖中国漁船衝突ビデオ投稿事件」
一億総評論家状態。
主要新聞各紙の一面コラムでも、
ズラリ、取り上げられた。
こういったニュースの切り口の鮮明さ、鋭敏さで、
その新聞の「格」のようなものが決まってしまう。
そのメディアの存在意義や奥の深さも決する。
だからコラムニストは社運をかけたような心持ちで記事を書く。
そして大抵の場合、故事や言葉を引用してくる。
それが、その新聞、そのコラムニストのセンスとなる。
今朝の朝刊から、それを拾ってみよう。
第1に、朝日新聞「天声人語」。
朝日は、中国の荀子を引いてきた。
「性悪説」の荀子。
もうここで、皮肉屋の朝日のスタンスが現れる。
「口と耳の間はわずかに四寸」。
「『ご内密に』『ここだけの話……』といった紳士淑女の『協定』は、
まず守られぬのが相場となる」
そして皮肉を言う。
「国家組織の耳目と口も、油断ならず近いらしい」
最後に、もうひとり引用。
鉄の女サッチャー元英国首相が政治に対する厳しさを述べたもの。。
「予期せぬことが起きると、いつも予期していなければならない」
朝日新聞は最後に総括する。
「民主政権は同好会的なぬるさを克服できようか。
下手も絵になるのは、草野球だけである」
まあ、皮肉に徹したコラムというところか。
第2は、読売新聞「編集手帳」。
こちらは 長州藩士・藩政改革に手腕を振るった村田清風から。
〈来て見れば聞くより低し富士の山 釈迦も孔子もかくやあるらん〉
それをもじって、
〈見てみれば聞くより酷(ひど)しわが領海…北方領土も かくやあるらん〉。
「情報管理のゆるみは目を覆うばかりだが、
それ以上に菅政権の希薄な領土意識が気に掛かる」
第3に、日経新聞「春秋」。
こちらは芥川龍之介『侏儒(しゅじゅ)の言葉』から引用。
「政治的天才とは彼自身の意志を民衆の意志とするもののこと」
そして「事の発端から首相の意志がみえない」となじる。
日経新聞は、社説では、
「菅政権は混乱を避けるため、この際、
ビデオの公開に踏み切るべきだ」と迫る。
こちらは、ずっと民主党政権に手厳しいし、
菅直人政府にはとりわけ「我慢ならん」といった感情むき出し。
それが表れていて、皮肉屋レベルを超えてはいる。
第4に、毎日新聞「余録」。
こちらはYou Tubeに焦点を当てた。
「豪メルボルンの聖パトリック大聖堂のバロン司祭」
「聖堂前でスケートボードをする若者をしかっていた」が、
とうとう、「ある日、若者らの挑発に激怒し、
司祭が口にすべきではない汚い悪態を連発」
「あまつさえ一人の頭をたたき、
アジア系若者の目の細さをののしる人種差別発言まで口にした」
そのビデオが「ユーチューブ」で公開された。
結論は「世界の人々がユーチューブで見たのは、
若者のワナにはまった司祭にも増してわきの甘い日本政府の実態」
これも、たとえ話を借りた政府批判だが、
「わきの甘さ」で終わってはつまらない
第5は、産経新聞の「産経抄」。
はるか昔に見た新東宝映画『明治天皇と日露大戦争』。
その「日本海海戦のシーン」。
「黒い煙をはいて両国の艦隊が進み、高い波に上下されながら砲弾を浴びせ合う」
コラムニスト氏は「その迫力に思わず拳を握った」。
「黒い煙」のところが、尖閣沖中国漁船衝突ビデオに似ていて、
「その迫力は、それに決して負けていない」と評する。
「政府がやるべきこと」として、
第1に「中国漁船の真の姿を知らせず、
国際世論に訴えようともしなかった不始末への反省」
第2に、「中国に抗議する姿勢」とともに、
海上保安庁の職員たちに「ご苦労さまでした」の一言。
終わり方が、がっくり。
第6は、東京新聞の「筆洗」。
ここは、『南総里見八犬伝』。
「八犬士の一人が持つ『仁』の字の玉が不思議な“移動”をする話」
玉が土中から八犬士の懐に戻る。
「中国漁船衝突事件の様子を収めたビデオ映像も土中ならぬ、
関係機関の金庫などに、しかと“封印”されていたはずである」
ところが、「インターネット動画サイトに流出してしまった」
「一体、この国の情報管理、“封印”はどうなっているのかと、
国民も諸外国もあきれていよう」
そして最後に皮肉。
「まさか、これが、菅首相言うところの『オープンな政治』ではあるまい」
さてついでに最後に、
私の地元神奈川新聞の「11月6日付け照明灯」。
「岡ちゃん、本当に胸のすく思いだったよ」。
サッカーワールドカップで代表監督を務めた岡田武史さん、
かつてのマラソン五輪代表瀬古利彦さん、
レスリング五輪銀メダリストの太田章さんのトークショーの話題。
大らかでよろしいが、さて神奈川新聞の「格」はいかに。
新聞各紙一面コラム。
軍配を上げるつもりもないし、
順番をつけることも意味がない。
大切なのは、それぞれの「ポジショニング」
わが紙の他との違いが、いかに鮮明になったか。
神奈川新聞のおおらかさは問題外かもしれないが、
日経の「公表せよ」との断言を除いて、
どの新聞も似たり寄ったりの「皮肉屋ジャーナリズム」の域を出ていない。
つまりは情報のコモディティ状態。
これは、民主党のだれが首相になろうと、
自民党が政権奪回しようと、
似たり寄ったりの政治コモディティ現象に似たり。
日本が、そんなふうになっていることをこそ、
私たちは自分のこととして再認識しなければなるまい。
<結城義晴>