JFケネディ「連帯と分断」、結城義晴「一人の元気よりも、十人の元気。 百人の元気。 千人、万人の元気」
今週から立教の講義が始まった。
他と同様に、3月の卒業式や4月の入学式を中止し、
講義スタートも5月。
しかし私が所属する大学院ビジネスデザイン研究科は、
今週月曜日から講義開始。
今年から私は月曜日に講義をし、
土曜日にゼミをすることにした。
だから今週月曜日は、
夕方6時30分から10時近くまで、
フード&ベバレッジ・マーケティングを講義した。
最初だからオリエンテーション講義。
そして今日は、結城ゼミ。
午後1時から。
すべての行事やイベントが中止、延期となる。
しかし、早く平常に戻したい。
日常、通常に戻って、
前を向いて生きていきたい。
平常、日常、通常。
そう願っている。
被災した人々も、
被災した店店も
被災した企業も、
被災した地域も。
被災者・被災地に対しても、
極めて失礼だし、
その意味で今、一番卑怯で卑劣な行為は、
震災の所為にして何かを成すこと、
あるいは震災の所為にして何かを止めること。
東日本大震災が起こった。
だから改革のスペースが生まれた。
東北関東の大津波と大震災に見舞われた。
だからイノベーションが果たされた。
昨日、ピュリツァー賞のジョン・ダワーさんが言った。
「突然の事故や災害で、
何が重要なことなのか気づく瞬間があります」
「すべてを新しい方法で、創造的な方法で
考え直すことができるスペースが生まれる」
「震災が来たから、あれはできなくなった」
「震災が起こったから、延期し、その後、仕方なく中止した」
こんな言い訳で、
例えば意義あることや必須のこと、
明日のために必要なことを止めてしまうとしたら、
それは断じて許せない行為だ。
被災後、必死になって復旧・復興に努力している人々にさえ、
本当に失礼なことだと思う。
さて私の立教の研究室も、
今回、移動し、変わった。
その引っ越しは、実は3月16日に行なわれていた。
被災後、5日目のこと。
ポカポカとした陽気だった。
しかし私はダウンジャケットを着て、池袋に向かった。
3月まで私の研究室があった3号館。
蔦の絡まる2階建て。
扉を開けて中に入ると、
掲示板。
「結城義晴」のランプを点ける。
そして軽やかな足取りで、
階段を2階に登る。
2階通路は、いつも森閑としている。
私の部屋は3209号室。
3号館の209号室。
そして3209号室の鍵穴に鍵を差し込む。
鍵もクラシックで、
私、大好きだった。
そして私のデスク。
これでこの部屋ともお別れかと思うと、
感慨深いものがあった。
それから東日本大震災の被害が明らかになっていった。
福島原発の問題が、世界を駆け巡った。
そして今日、4月最後の日。
クラシックな3号館の後ろにそびえたつ近代建築。
それが新しい研究室のビル。
第15号館「マキシムホール」
ビルの左手のエレベーターから上がるが、
その前に研究室の表示がある。
あいうえお順で、
結城義晴は最後。
M503号室が私の新しい研究室です。
エレベーターホール。
マキムホールのご案内がある。
エレベーターで5階に上がる。
真下に見下ろす自慢のキャンパス風景。
写真一番下の瓦屋根が3号館。
5階の廊下は、こちらの近代建築でも、
なぜか森閑。
そして私の部屋。
前回は3人部屋だったが、
今回は二人。
お相手は平浩一郎教授。
まだ、引っ越したばかりで、資料が少しだけ。
今年からこちらにも本や資料を置くつもり。
そして私のデスク。
しばらくお世話になる。
これから主に、
月曜日の午後、あるいは夕方、
そして土曜日の午後、あるいは夕方、
この新しい研究室のお世話になる。
研究室以外は、
横浜の商人舎オフィス。
通称だが、
「研究室」と呼ぶときは池袋、
「オフィス」というときは横浜。
みなさん、どちらにもおいで下さい。
お待ちします。
さて、私自身の自宅も、
変わった。
今日がその引っ越し。
最近、引っ越しづいている。
ただし、自宅の方は、
「引っ越し」といっても、
仮住まいからの出戻り。
この春から、私にも、
ふたつの新しい「スペース」が生まれた。
スペースこそ、
イノベーションの源だ。
私はそう、思っている。
この新しい気持ちは、
被災した人々と同じだと信じている。
一緒に歩むことを、
あらためて誓いたい。
4月最後の言葉は、
ふたたびジョン・フィッツジェラルド・ケネディ。
第35代アメリカ合衆国大統領。
1961年に大統領就任、
1963年にテキサス州ダラスで暗殺。
「つながっていれば、
できないことはほとんどない。
バラバラなら、
できることはほとんどない」
20世紀生まれの最初の大統領、
カトリック教徒初の大統領、
アイルランド系アメリカ人初の大統領、
そしてピュリツァー賞受賞唯一の大統領。
その著書の名は『勇気ある人々』。
ケネディは、「連帯と分断」を言った。
連帯が生まれてくると、
分断しようとする勢力も、
また生まれる。
元気を出そうよ。
私は言った。
しかしその元気は、
つながってこそ大きくなる。
ひとりの元気よりも。
十人の元気。
百人の元気。
千人、万人の元気。
いま、それが良くわかる。
これを阻止する者は、断じて許さないし、
阻止しようとする者こそ、滅びる。
<結城義晴>
「ひとつになろう! 日本 商人支援プロジェクト」
私は5月12日大阪でトップバッターとして講演する。
会場 リーガロイヤルホテル大阪
日時 2011年5月12日(水)
開演 12時受付開始 12時30 ~17時
参加費15000円
この1人1人の参加費はすべて、
東日本大震災義援金として、
日本赤十字社に寄付される。