「桃・柿育英会」と「負けるな! びはん」そしてコーネル・ジャパンの労務問題講座
読売新聞の一面コラム『編集手帳』。
「桃・柿育英会東日本大震災遺児育英資金」を取り上げた。
新設された東日本大震災の遺児に給付する育英資金の制度。
発起人は建築家の安藤忠雄さん、ノーベル物理学賞の小柴昌俊さんらで、
安藤さんが実行委員長。
小売業界ではファーストリテイリングの柳井正さんが発起人として参加、
運営資金としてまず約2億2000万円を寄付する。
寄付金の募集活動は、
すでに4月9、10日、および4月23日~5月8日、
日本国内のユニクロ店舗で展開。
商品1枚について100円を寄付する支援プログラム。
編集手帳のコラムニストは武者小路実篤を引き合いに出す。
〈桃栗三年 柿八年 だるまは九年 おれは一生〉。
「桃と栗は3年、柿は8年かかってやっと実がなる。
達(だる)磨(ま)大師の場合は『面壁九年(めんぺきくねん)』、
壁に向かって座禅を組むこと9年にして悟りを開いた。
自分はこつこつと一生をかけて実るのだ」
私は中学生だったか高校の初めだったか、
白樺派の武者小路を読み漁っていた時期がある。
だから余計に「桃・柿」に対しても親近感がある。
イオンの岡田卓也名誉会長が、ながく、
「風樹会」という奨学金制度やっていたが、
こちらは交通遺児の育英資金供与。
できることをやる。
それがとても尊い。
昨日、横浜の商人舎にお手紙が届いた。
便せん3枚にびっしりと書かれた文字。
意志を感じさせる。
間瀬慶蔵さんからのものだった。
㈱びはんコーポレーション専務取締役。
岩手県下閉伊郡山田町で被災したスーパーマーケットの経営者。
朝日新聞に掲載された記事「店はなくても青空市」。
それがびはんの物語。
私はブログに書いて応援した。
ご了解を得て掲載させていただく。
初めまして、私は
岩手県山田町にあるスーパー「びはん」を経営している
間瀬慶蔵と申します。
結城さんのブログを見つけ、拝見させていただきました。
『食品商業』や『販売革新』を読んでいたので、
結城さんのことは知っておりましたが、
あまりの感激に目にじわっとくるものがありました。
感動しました。ありがとうございます。
この震災をきっかけに、
他のスーパーが町内に参入しようとする動きがある中、
「がんばろう びはん、負けるな びはん」の激励の言葉、
勇気づけられました。心からお礼申し上げます。
少し自己紹介をさせてください。
私は、大学卒業後、イオン㈱に入社し、
8年間修業の上、山田町には3年前に帰ってきました。
社長の父は健在ではありますが、私は専務として日々、
店の指揮をとっておりました。
3月11日、私は店内にいまして、
従業員といっしょにお客さまを避難させ、
その後従業員も避難させ、店に施錠をして、店横の高台に行き、
津波が来るのを見ていました。
もちろん、店がのみこまれる瞬間もこの目で見ていました。
その時はもう恐ろしくて恐ろしくて、
自分の命のこと、家族のことばかり考えていました。
波が引き、次の波はもっと高いのではないかと思い、
他の避難者といっしょに海水の中、
さらに高台へと連れて行きました。
その後、やはり家族が心配で探しに行きました。
全員の無事を確認し、
その日の夜は子供と2人でお寺に避難しました。
津波直後から町内のあちこちで火事が発生していて、
プロパンガスの「ドーン」と爆発する音、
スタンドの爆発する音、
大きな余震、
さむい夜に子供と2人で眠れぬ夜を過ごしました。
翌日、翌々日は、店のあった場所に行き、
わずかに残った菓子、食品、飲料などを、
他にも集まってきた従業員と
避難所に配って歩きました。
その時に声をかけてきた町民の方々に
「びはんはどうするの?」という言葉に、
自然と「またやりますよ」という言葉が出ていました。
たくさんの方の期待の言葉にはげまされ、
13日の夜は眠れませんでした。
14日には、内陸の取引先を回り、
なんとか商品を仕入れることができないか交渉して、
15日の青空市開店にこぎつけました。
開店したのはいいのですが、
新聞も広告もない状態で、
開店を町民に知らせる必要がありました。
拡声器を役場から借り、
流されずに残った軽トラで町内を走らせました。
そこで言われた言葉が
「こっちに売りに来い」でした。
逆に叱られました。
そんな言葉が多数あり、
移動販売もすぐに始めました。
その時のお客さまの言葉
「待ってた~」
「助かる~」
「ありがとう!!」
「また来て~!」
この言葉に元気をもらった時、
やっぱり自分は商売人なんだなと、
つくづく感じました。
現在では、青森のマエダストアーさんから
無償でゴンドラや冷ケースを頂き、
被災しなかった旧山田病院にて、
約20坪の程度の売り場を設け、
青空と2か所で営業しています。
商品は、同じく被災したマイヤさんから仕入れております。
皆さまの支援に感謝!!感謝!!です。
今後は、前、核店舗であった店を
同じ場所に8月上旬オープンの目標で
準備を進めている状況です。
必ず「びはん」は復活し、
山田町も復興させます。
見ていてください。
長々と書かせていただきました。
同梱の「山田の醤油」は、
当社のブランドで、
内陸の業者でつくらせていたので無事でした。
甘~い味で、
白身魚のお刺身や煮物に最適です。
どうぞご賞味ください。
びはん 間瀬より
読んでいて、涙が出てきた。
応援したい。
ずっと、ずっと。
「ひとつずつ、
すこしずつ、
いっぽずつ」
「山田の醤油」を売る運動もやろうと思う。
仕入れたい企業、店舗。
どんどんお知らせください。
間瀬さんにお願いして、
手当てします。
全国のお客様も、
「山田の醤油」、
どんどん買って、
どんどん使ってくれるに違いありません。
さて、昨日はコーネル大学RMPジャパン5月講義の二日目。
1日4時限で労務問題講座が連続する。
第1講座は弥富拓海さん。
賃金管理研究所所長。
テーマは「強い企業であり続けるための賃金体系と福利厚生」
弥富先生の考え方は、
「企業は力強く成長し続けなければならない」
そのためにいかに人財を育てるか。
企業成長のために賃金や給与、福利厚生がある。
弥富先生の講義は、単なる賃金体系づくりではない。
企業のあり方、成長を前提にしている。
もちろんピーター・ドラッカーの思想が底辺に流れている。
第2講座の講師はUIゼンセン同盟会長の落合清四さん。
「労働組合問題~民主的労働組合と労使関係」
UIゼンセン同盟は組合員110万人、
世界最大の労働組合。
このうち、流通サービス業が約80万人、繊維産業が約30万人。
そしてどちらにも含まれるが、
パートタイマー、派遣などの臨時労働者が約45万人。
これだけの人々を組織する落合さんは、
旧ニチイのご出身。
我々の仲間。
落合さんの講義は、
日本労働運動の歴史概観に始まり、
労働者の位置、働くことの意味、
健全な労使関係の構築、
そして流通産業の課題まで。
極めてレベルの高い講義。
コーネル・ジャパンでしか聞くことのできない貴重な話だった。
企業は、人間尊重と社会との関係性と、
そして自らの成長とを正三角形で保ちつつ、
発展していかねばならない。
会社と労働者と顧客も、
等関係で自律していなければならない。
落合さんの話は、
顧客満足(Customer Satisfaction)と
従業員満足(Employee Satisfaction )との一致を意味している。
それが労働運動の指導者の主張であるところに大きな意味がある。
第3・第4講座は木下潮音さんによる「小売業の労務問題」
木下さんは第一芙蓉法律事務所の弁護士。
流通・サービス業、チェーンストア専門に労務問題の指導をしている。
豊富な経験に基づいた的確な指摘は小気味良いし、実務的である。
滑舌のよい講義はあっという間に2時間がすぎ、
質疑応答の時間。
関西スーパーマーケットの岡秀夫さんが真っ先に質問。
木下さんは三期生からの質問に、
これまたてきぱきと、
丁寧に答えてくださった。
そして、最後に、6月のSMシミュレーションゲームについて、
私からの短いガイダンス。
伝説の1期生、奇跡の2期生も同様に、
このゲームを楽しみ、学んだ。
3期生もぜひ、来月の2日間、しっかりコミュニケーションをとり、
楽しみつつ、経営の醍醐味を味わってほしいものだ。
コーネル大学リテール・マネジメント・プログラム・オブ・ジャパン。
3期生もあっという間に、8カ月が終わった。
3月4月は大震災のために、
授業が順延となったが、
期間は8カ月を経過して、
本来ならばあと2回。
本当にあっという間だった。
しかし短く感じるほどに、
中身は充実している。
あとわずか。
もちろん、延期した講義は、
時期をずらして再現される。
そして7月下旬にはニューヨーク州イサカへの卒業旅行。
私はこの産業内大学が存在していることを、
すべての人々に感謝したい。
ドラッカーの唱えたポスト・モダン。
日本商業のポスト・モダンを、
このビジネススクールは目指す。
まだまだだけれど、
続いていることそのものが、
ひとつずつ、すこしずつ、いっぽずつ、
現代化を推進していると信じたい。
<結城義晴>
1 件のコメント
秋田県出身
現在茨城県に住んでおります。
目の前に福島原発があります。
海外からは、福島、茨城、栃木は同等の扱いです。
国内も同じだと思います。
現状を国内、海外に発信しましたが
一般市民の言うことは聞いてくれませんでした。
親のいうとおりに公務員になっていればよかったと後悔しています。
大人は救えませんでしたが、子供に夢と期待を託したいと思います。
一日も早い復興をお祈りしております。