糸井重里の「おばあちゃんのように読む」と「黒字亡国から赤字興国へ」
晴れやかな春分の日です。
祝日法第2条の趣旨。
「自然をたたえ、生物をいつくしむ」。
だから花粉が飛んでいようが、
外に出よう。
木々、草花、虫、鳥、魚、
ついでに犬、猫をいつくしもう。
わが家のジジは、
「箱入り息子」だけれど。
いつくしむ。
そして今日は彼岸の中日。
今朝の讀賣新聞『編集手帳』だけが、
春分の日の「彼岸の中日」をモチーフにした。
「人の世は悲しいことばかりではないけれど、
楽しいことがあればあったで周囲にあれこれと気を使い、
生きている以上は、せわしさが身を離れることはない」
コラムニスト、ちょっくら厭世的。
そして矢島渚男さんの一句を上げる。
〈亡き母に享(う)けし体温冬の星〉
「冬の名残の寒気のなかで生きてある身の体温を実感し、
その体温を授けてくれた人を偲(しの)ぶ」
「生まれてこの方、
ずいぶんたくさんの言葉を習い覚えてきたつもりだが、
墓前に立つといつも、
『ありがとう』と『ごめんなさい』のほかは浮かんでこない」
「ありがとう」と「ごめんなさい」の日。
それが今日なのかもしれない。
糸井重里さんの『ほぼ日』の巻頭言、
「今日のダーリン」の昨日の文章。
「ぼくの祖母は、新聞などを読むときに、
小さな声を出していました。
つまり、小声の音読をしていたわけです」
しかし糸井さんは黙読する修練をした。
「黙読になってから、本を読む速度はあがります。
音読しているときの、何倍にもなるかもしれません」
「読むべき本、読みたい本はいくらでもあるから、
のろのろ読んでいるよりも、
速く読んだほうがいっぱい読めていいようにも思えます」
この後が糸井流。
「しかし、ずっと思っていたのです。
そんなにいっぱい読まなくてもいいんじゃないか、と」
「本を読むといいこともあるでしょう。
でも、本を読むこと自体は、目的じゃない」
ここでドラッカー先生登場。
「利益は、手段であって目的ではない」
「読書も、手段であったり愉しみであって、目的ではない」
「このところ、ぼくの読書の速度は遅くなっています。
どうも音読の速度に近づいているような気がするんです」
「つまらない部分は、すっ飛ばしたりしていますが、
読みごたえのある部分については、
ナレーターが読むような速度で黙読をしています」
「おかげで、読む本は少なくなっていますし、
読まないことに決めてしまう本も多くなりました。
だけど、とても快適なんですよ」
本当に糸井流。
「『音読』の速さで本を読むというのは、
よく噛んで食事をするというのに似てます」
私の著書『メッセージ』から、
「良く噛んで食べる」
人間ドックに入って出てきたら、
金属疲労のごとく、いっせいにチェックが入れられた。
全身疲労の四十九歳。
要は、体重を減らせ、痩せろ、節制せよ。
そこで、考えた。
「良く噛んで食べる」
これだけに徹しよう。
そうすればすべて上手くいく。
まず消化がよくなる。
胃腸の負担が軽くなる。
歯が丈夫になる。
顎も発達する。
食べ物の味が分かるようになる。
食べる時間は長くなるが、総体的に量が減る。
量が減れば、少しだけお金もかからなくなる。
その分、美味しいものを食べようと努力する。
うん、すべてよくなる。
健康になるはずだ。
しかし困った。
「良く噛んで食べる」とは、いったいどうすることなのか。
そこで再び、考えた。
「心の中で数えながら噛む」
最低四〇回、あるいは四十八回。
この習慣をつける。
「いち、に、さん、し、ご、ろく、しち、はち」
「に、に、さん、し、ご、ろく、しち、はち」
「さん、に、さん、し、ご、ろく、しち、はち」
「し、に、さん、し、ご、ろく、しち、はち」…………
このくらいで、たいていのものは、
心地よく口の中から消えていく。
きちんと噛むために、適当なかたまりを、
順序よく口の中に入れるようになる。
食物の堅さにも関心を払うようになる。
すべてよくなる。
ときどき、
舌や唇を噛んでしまうこともあるが。
しかしみたび、考えた。
この私の「食べるマニュアル」は、
果たして、
食事時だけのものなのか。
実は、これが何にでも使える。
事実も、問題も、「良く噛んで食べる」
苦情も、報告も、「心の中で数えながら噛む」
目がさめている限り、何でも。
糸井さんも、同じ。
「もう、『おばあちゃんのように読む』。
ぼくは、これで行こうと、決めました」
さて日経新聞コラム『一目均衡』。
特別編集委員の末村篤さん。、
「日本の貿易収支は昨年、
通関ベースで31年ぶりの赤字となり、
今年1月は経常収支も赤字化した」
歴史を紐解く。
第1次世界大戦で急増した輸出の反動減と関東大震災が重なり、
貿易赤字が急拡大した1924年。
国家滅亡の悲観論の中で、
石橋湛山は「輸入超過興国論」を唱え、言い切る。
「日本経済の発展と震災復興に外国資本と物資の輸入は不可欠で、
入超は亡国どころか興国」
翻って現在。
「企業中心の生産力増強から、
家計中心の国民生活の充実へ、
日本の国益も時代とともに変わった」
「高齢化社会への対応、震災復興、
エネルギー転換などの諸課題は
豊富な国内潜在需要を物語る」
国内の潜在需要に応える役目の一端を、
小売流通業・サービス業が担っている。
「設備投資と輸出から、
住環境整備とサービス消費へ、
エンジンを切り替え、
生産(労働)で得た所得の購買力を実現し、
流動性の海外流出を抑える」
広い目で見たサービス消費。
末村さんの結論。
「国際収支の変調を嘆くのでなく、
『黒字亡国』から『赤字興国』に踏み出す歴史的構造転換こそ、
日本経済を長期停滞から救い出す道ではないか」
小売流通業・サービス業にかかわる者にとって、
身の引き締まる主張である。
<結城義晴>