監督・政治家・経営者の「人間のどろっとした部分」と「品性ある腹芸」
私の好きなスポーツ・コラム、
豊田泰光の「チェンジアップ」。
今日のタイトルは「いい人より勝てる人」
のっけっから、こう始まる。
「阪神の和田豊監督は
きっといい人なのだろう」。
14日の巨人戦でスクイズを仕掛けたが、
失敗して負けた。
監督和田の敗戦の弁。
「1点を取りにいって、
逆に流れを変えてしまったかな」
これに豊田が噛みつく。
「もしそう思ったとしても、
そこまで正直に答える必要はない。
前中日監督の落合博満なら
『みたまま書けばいいだろ』で終わりだろう」
「相手ベンチを疑心暗鬼にさせることのない素直さ、
悪くいえばすごみのなさにより、
心理戦の段階で負けている可能性はある」
この後が豊田らしくて、いい。
「私の知る限り、
勝てる監督は
みんな腹黒かった」
もう一人、今年、
監督デビューした日本ハムの栗山英樹。
「そのさわやかなイメージに『腹黒い』はないけれど、
少なくとも相当の腹芸を持っていそう」
栗山は、何度も言う。
「選手を信じてやっている」
豊田は、見抜く。
栗山のこの「美しいフレーズにも、
責任をさりげなく選手に
預けるような微妙な響きがある」
「これをさらっと言えるのが
監督としての資質」
栗山英樹をべた褒め。
そして最後に、和田への注文。
「人間のどろっとした部分を出せれば、
いい監督になるに違いない」
このコラムを読んでいて私は、
昨日の安倍晋三自民党新総裁を思い浮かべた。
「人間のどろっとした部分」
安倍晋三にあるのか、出せるのか。
野田佳彦には、
ペロッとしたしたたかさが垣間見える。
しかしまだ「凄味」は出てこない。
小泉純一郎には、
どろっとしたものがあるのに、
それを感じさせない「凄味」があった。
福田康夫、麻生太郎から、
鳩山由紀夫、菅直人まで、
みんな、「どろっ」が欠如。
それを過剰に有する小沢一郎は、
逆に国民や政治家からの人気が全くない。
人々からの「人気」と、
政治家・リーダーとしての「どろっ」。
両方必要であることは言うまでもない。
さてさて、橋下徹には、
「どろっ」もあるし、
「人気」も一応、ある。
特に関西方面での熱烈な人気。
しかしそれは逆に他の地域では、
不人気であることを表わしている。
政治家がプロ野球監督と、
根本的に違っていることは、
選挙や闘争に勝った結果として、
国家の安泰と国民の幸せを守らねばならない点だ。
中国や韓国との外交においては、
「人間としてのどろっとした部分」や、
いい意味での「腹黒さ」、すなわち「腹芸」は不可欠だ。
そしてこの人間の「どろっ」とした部分、
経営者やトップマネジメントにも、
必須の要件であると思う。
もちろんピーター・ドラッカー先生。
「マネジャーとしてはじめから
身に着けていなければならないものが
ひとつだけある。
才能ではない。
真摯さである」
私は、特に経営者やリーダーには、
「試練」が必須であると考えている。
試練こそが、
人間に「どろっ」としたものを植え付ける。
いくつになっても、遅くはない。
それを経験しておく必要がある。
失敗の数が多いほど、
人間には「どろっ」したものが定着する。
そして、この試練によって生まれた「どろっ」は、
真摯さと相反するものではない。
もちろん自分の失敗や試練を、
しょっちゅう口に出して、
売り物にする輩は論外であるけれど。
私がよく持ち出す『新約聖書』ローマ人への手紙5章。
「艱難が忍耐を生み出し、
忍耐が練達を生み出し、
練達が希望を生み出す。
この希望は失望に終わることがない」
「練達」とは練られた品性のことだが、
艱難⇒忍耐⇒練達となる。
「どろっ」としたものに品性が宿ることがある。
それを「練達」という。
この品性は艱難と忍耐から生まれる。
そして練達から生み出された希望は、
決して失望に終わることがない。
ちなみに「人気」は、
人間の「品性」を土台にしている。
「品性ある腹芸」。
品性ある「人気」と「どろっ」を両方持つこと。
とことん難しい領域だが、
これは挑戦してみる価値がありそうだ。
<結城義晴>