メディアの「巻頭コラム」を思いつつ、「元気を出そうよ」
今日は立教大学池袋キャンパス。
大学時代には都の西北に、
こんな頻度でやってきただろうか、
こんなに足しげく教室に通っただろうかと、
思いを巡らす。
それに立教にはもう、
10年も通っている。
蔦の絡まる本館。
兼任講師時代と特任教授になってから、
指折り数えるともう10年を超える。
こちらのほうが早稲田よりはるかに、
長い付き合いになった。
ありがたいものだ。
この銀杏も私の友達。
今日はその立教ビジネスデザイン研究科の、
結城ゼミ。
来週はこの第5期生のゼミで、
研究成果発表が行われる。
結城ゼミにはOB会があって、
もう23人のOB・OGがいるけれど、
その人たちが聴講に訪れる。
質問をしてくれたり、
意見を言ってくれたり、
指導をしてくれたり。
これもありがたい。
毎年毎年、結城ゼミは、
大学院のそれとしては大所帯で、
だから私はこのOB・OGの力を、
最大限、借りようと考えている。
彼らもほとんどが、
自分の研究生活から離れ、
おのおのの仕事にまい進している。
その意味で現役の研究生の報告を聞くことは、
勉強にもなるし、刺激にもなる。
来週が、ほんとうに楽しみだ。
今日は結城ゼミが終ってから、
第5期生との暑気払い。
そこに1年次の院生が加わって写真。
偶然にも参加してくれたのは、
F&Bマーケティングの履修生。
たのしいひとときだった。
さて今日はメディアの巻頭言について。
朝日新聞の『天声人語』はあまりにも有名。
しかし私は毎日新聞の『余禄』も、
日経新聞の『春秋』も、
もちろん読売新聞の『編集手帳』も読む。
世間一般では、
『天声人語』の評価が高すぎる。
『春秋』も『余禄』も『編集手帳』も、
それぞれに特性をもっていて、
それぞれによろしい。
コラムの書き手は、
ほとんどが私の同年輩の新聞記者。
わが月刊『商人舎』は、
表紙にCover Messageを入れて、
さらに巻頭コラムは、
「Message of June」として書く。
商人舎公式サイトでは、
[毎日更新宣言]を巻頭に掲げるが、
これはコラムではない。
しかしもう、この8月で、
まるまる6年となる。
月刊『商業界』の巻頭言は、
ずっと倉本長治主幹が、
意志を持った味のある文章を綴っていた。
現在は、倉本初夫主幹が書いている。
『販売革新』は、創刊以来、
巻頭コラム「Editor’s Voice」があった。
いつの間にかそれは消え去ってしまって、
今は何もない。
私などちょっと古いのかもしれないが、
巻頭言がない月刊誌は、
何にも主張がないような気がして、
ただの情報誌としか思えない。
私が編集長、編集統括、社長の頃は、
毎月、この「Editor’s Voice」に、
特別の意志を込めて、
書き続けた。
月刊『食品商業』は、
初代編集長の今西武さんの時にも、
二代目編集長の小島稔さんのころも、
巻頭言はなかった。
三代目の結城義晴が、
「Message」と題した巻頭言を始めて、
名物となった。
私はこれを書き続け、
㈱商業界の社長の時に、
そのままタイトルを『Message』として、
単行本にした。
この本の最初のMessageは、
「元気を出そう」
元気を出そうよ。
それがあなたの仕事です。
元気をふりまこうよ。
それがあなたの役目です。
冷夏・残暑で売れなかった。
それはお客さんの元気がなかったからか。
暖冬でまたまた売れなかった。
お客さんたちが買うことに疲れたからか。
いいえ、そうではありません。
お客さんには欲しいものが見出せなかった。
買いたい気分が生まれなかった。
商品やサービスにがっかりした。
あなたの元気は商品に乗り移る。
あなたの元気は店を活気づかせる。
あなたの元気はお客さんを励ます。
仲間を、取引先を勇気づける。
元気とは心の躍動です。
元気とは強いコミュニケーションです。
天気は人間の力ではどうにもならない。
景気も組織の力で動かせない。
しかし元気だけはあなたの力で生み出せる。
そう、元気は自分で何とかなる。
だから、元気を出そうよ。
それが今、あなたの仕事です。
元気をふりまこうよ。
それがあなたの役目です。
さて『ほぼ日刊イトイ新聞』の巻頭言は、
「今日のダーリン」。
これはインターネット新聞。
糸井重里さんが毎日、自分で書く。
「15年以上も、毎日、
ここの文章を書いているというのは、
尋常なことではない」
凄いことですね。
15年。
「つまり、ふつうの人は
やらないことだ。
だから、ときどき、
エライでしょという気持ちになる。
1日も休んでませんというのを、
自慢したくもなる。
皆勤賞だって、
15年になったら
ちょっとしたものだ。
と、そういう気持ちが前に出てると、
やっぱり嫌らしい。
黙っていられない男というのは、
自惚れられるようなものではないのだ」
このあたり、
自嘲気味に述べるのが糸井流。
「『よく、毎日、しゃべることがあるね』
と言われるのは、
感心されているのではない、
呆れられているのだ。
どうでもいいことを、
ぺらぺらしゃべるのは芸である。
しかし、
どうでもいいわけでもなさそうなことを、
毎日毎日、
飽きもせずに書いていることは、
ただの『おしゃべり野郎』だと思う。
ほんとに、
インターネットが発達したせいなのか、
まことに、浮塵子(うんか)のごとく
『おしゃべり野郎』が発生している。
それを言い立てているわたし自身が、
そのひとりだ」
結城義晴もその一人で、
いわば同行の志。
「じぶんのことだけに、
そう嫌いになるわけにもいかない。
しかし、『おしゃべり野郎』が、
自慢しちゃぁいけない」
サトカメ専務の佐藤勝人さん、
書いている。
「毎日、ブログを書いていると、
宣伝か自慢話になってしまう」
その通り。
佐藤さんには、
自覚症状があってよろしい。
糸井さんの結論。
「そう思い立ったので、
今日は謝っておくことにしよう。
毎日毎日、
勝手なおしゃべりを
続けてまいりまして、
ほんとうに申しわけありません。
これからも、
そういうふうにしか
生きられないのですが、
こまめな『おしゃべり野郎』は、
沈黙の重みに
敵わないものであることを肝に銘じ、
謙遜に生きていくようにいたします」
拍手拍手。
「‥‥ああ、ちょっとすっきりした。
『よくしゃべるもの』
『うまくしゃべるもの』が、
ほんとうは金になれない
銀までの存在であるということ、
ちょっと言ってみたかったんだよねー」
糸井師匠に座布団三枚。
まったく同感です。
私も糸井師匠と同じく、
謙虚に生きていくようにします。
だから明日は、
私の代わりにジジが語ります。
おあとがよろしいようで。
〈結城義晴〉