日本国憲法前文と第9条の短文と「集団的自衛権の行使」
66回目の憲法記念日。
日本国憲法は、
1947年5月3日に施行。
その記念日は、
1948年の祝日法で制定。
対になっている文化の日は、
憲法公布日の11月3日。
毎年2回、
私たちは自分たちの憲法を、
熟考することになる。
この毎日更新宣言ブログ。
2007年8月12日から、
連続更新中で、
来月の26日に、
第2500回を迎える。
ほぼ7年間。
5000回は14年。
10000回は28年。
それは西暦2035年。
私は83歳。
少なくとも、
それまで続けたいが、
どうだろう。
そしてその時、
日本国憲法は、
改正されているだろうか。
日本社会はどう変わっているだろうか。
世界はどんな情勢になっているだろうか。
憲法記念日には、
そんなことまで、
考えさせられる。
いや、考えたくなる。
今日も夕日が沈んでいく。
このブログでも何度か書いているが、
私は自分の著書の「はじめに」で、
日本国憲法を使ったことがある。
『小売業界大研究』。
2010年、産学社刊。
「私たちの日本国憲法は、
『主権が国民に存することを宣言』しています。
国の基本原理・基本原則を定める日本国憲法は、
まず、国民主権を掲げるのです」
「そのうえで、基本的人権の尊重、平和主義の
三つの考え方が謳われています」
「一方、すべての小売業もまた、
この三つの考え方を基盤としています」
「国の主権者である国民に、
一人ひとりの人権を尊重して、
商品とサービスを提供する。
そして、平和の中で、
小売業は繁栄する――」
「あらゆる産業は、
国民生活に貢献するために営まれています。
しかし、とりわけ小売業は、
国民の毎日の暮らしを維持・向上させるために、
最も国民に近いところで日々、活動します。
小売業はそのことに、
最大の存在意義をもつのです」
国民主権、
基本的人権の尊重、
平和主義。
小売サービス業も、
この三つの考え方に、
支えられている。
私の主張の根幹をなすものだ。
一方、憲法記念日にはいつも、
このブログでその前文を掲載する。
その都度、中学生の時に、
前文の全文を暗記したことを記す。
なんというか、
誇らしかったことを覚えている。
今年も掲載しよう。
日本国民は、
正当に選挙された
国会における代表者を通じて行動し、
われらとわれらの子孫のために、
諸国民との協和による成果と、
わが国全土にわたって
自由のもたらす恵沢を確保し、
政府の行為によって
再び戦争の惨禍が起ることの
ないやうにすることを決意し、
ここに主権が国民に存することを宣言し、
この憲法を確定する。
悪文。
その意味では、憲法。
表現方法を改定したほうがいい。
小学生でもわかる方がいいし、
憶えようとする中学生も、
内容をしっかりと理解できる方がいい。
そもそも国政は、
国民の厳粛な信託によるものであって、
その権威は国民に由来し、
その権力は国民の代表者がこれを行使し、
その福利は国民がこれを享受する。
主権在民の意味。
リンカーン宣言と同意。
そしてこれは変えてはいけない。
これは
人類普遍の原理であり、
この憲法は、
かかる原理に基くものである。
われらは、
これに反する
一切の憲法、法令
及び詔勅を排除する。
この後、平和について、
強調される。
日本国民は、
恒久の平和を念願し、
人間相互の関係を支配する
崇高な理想を深く自覚するのであって、
平和を愛する諸国民の
公正と信義に信頼して、
われらの安全と生存を
保持しようと決意した。
われらは、平和を維持し、
専制と隷従、圧迫と偏狭を
地上から永遠に除去しようと
努めてゐる国際社会において、
名誉ある地位を占めたいと思ふ。
われらは、全世界の国民が、
ひとしく恐怖と欠乏から免れ、
平和のうちに生存する権利を
有することを確認する。
これだけ強調される平和主義。
それは変えてはならない。
われらは、いづれの国家も、
自国のことのみに専念して
他国を無視してはならないのであって、
政治道徳の法則は、
普遍的なものであり、
この法則に従ふことは、
自国の主権を維持し、
他国と対等関係に立たうとする
各国の責務であると信ずる。
このパラグラフは、
政治道徳の法則を確認する。
これも国際国家として、
変えることはできない。
そして憲法前文のまとめ。
日本国民は、
国家の名誉にかけ、
全力をあげて
この崇高な理想と目的を
達成することを誓ふ。
悪文である点は、
なんとかならないかと思うが、
前文に関して、
その趣旨は変える必要はなさそうだ。
今日の記念日には、
改憲論議が盛んに行われる。
私が問うのは、
Five W’s and One H。
Who(だれが)
What(なにを)
When(いつ)
Where(どこで)
Why(なぜ)
How(どのように)
日本国憲法に関して、
はっきりさせなければいけないのは、
What・Why・How。
なにを変えるか、
なぜ変えるか。
どのように変えるか。
焦点のひとつとなるのは、
いつも日本国憲法第9条。
条文は意外に短い。
1
日本国民は、
正義と秩序を基調とする
国際平和を誠実に希求し、
国権の発動たる戦争と、
武力による威嚇又は武力の行使は、
国際紛争を解決する手段としては、
永久にこれを放棄する。
2
前項の目的を達するため、
陸海空軍その他の戦力は、
これを保持しない。
国の交戦権は、
これを認めない。
これも毎年、表明しているが、
私は個人として、
「暴力と武力の行使」は、
これを「永久に放棄」している。
これも私個人のことだが、
マハトマ・ガンディーの非暴力不服従に、
熱い共感を持っている。
それは小売りサービス業に、
深くかかわる者として。
さて新聞各紙。
今年は社説で主張した。
今年の焦点は、
「集団的自衛権の行使」。
毎日新聞社説は、
わかりやすい。
「日本の平和と安全は、
二つの柱で支えられてきた」
「日本国憲法と、
日米安保条約だ」
「憲法9条によって、
日本は戦争を忌避」
「一方、日米安保条約は、
巨大な基地と補給拠点を
米国に提供することと引き換えに、
外国からの侵略を防ぐ役割を果たしてきた」。
「9条の理念を、
安保のリアリズムが補う」
だから、「9条が禁止してきた、
さまざまな形での自衛隊の投入が、
集団的自衛権を行使すれば
できるようになる」
「それは、
日本を支える二つの柱から憲法を外し、
安全を日米安保のみに
依存することに等しい」。
一方、今朝の朝日新聞社説。
「安倍政権と憲法
―平和主義の要を壊すな」
安倍晋三首相の
今年のやり方を指弾。
「条文はいじらない。
閣議決定によって、
『行使できない』としてきた集団的自衛権を
使えるようにする」
これはちょっと安易。
「日本国憲法の平和主義は
形としては残っても、
その魂が奪われる」。
読売新聞社説のタイトルは、
「集団的自衛権で抑止力高めよ」
つまりは朝日新聞と反対の主張。
安倍内閣にハッパをかける。
最後に日経新聞社説。
「集団的自衛権めぐるジレンマ解消を」
三つのジレンマを指摘。
日経は冷静でニヒル。
第1は「安倍首相のジレンマ」。
「安倍首相が前面に出てくれば出てくるほど、
抵抗が大きくなるという政治の現実がある」
第2は「政権公約のジレンマ」。
「自民党は2012年の衆院選の政権公約で、
国家安全保障基本法を制定し
集団的自衛権の行使に
道を開く方針を打ち出した」
ところが、今年は、
「安保基本法によるのではなく、
自衛隊法などいきなり個別法を
秋の臨時国会で処理する段取りだ」
第3は「改憲のジレンマ」。
「集団的自衛権の行使に風穴をあけると、
首相が掲げる改憲が差しせまった問題ではなくなり、
むしろ遠のくという皮肉な結果をもたらす」。
こうして4大新聞社説を並べると、
あるプロ野球球団のファンだから、
そのチームに肩入れしている新聞だけを、
毎日とっていることの危険性がよくわかる。
かといって、権威と伝統がありそうだからと、
その新聞だけ読んで安心しているのも、
正しいとは言えない。
読み比べ、見比べて、
ストアコンパリゾンをするように、
新聞にも政治にも、
自分の関心と見識を持ってもらいたい。
今年は「集団的自衛権の行使」が焦点。
だからこそ日本国憲法第9条の条文を、
今一度、国民に徹底して、
議論したい。
日本には、年に二度、
その議論の機会が与えられている。
〈結城義晴〉