横浜聖光学院『ひこばえ』の7人同窓会と「紳士たれ」の人生
2015年1月最後の日。
㈱商人舎も年度末。
商人舎はあのウォルマートと同じ決算日。
おかげさまで、
2008年2月1日に設立して以来、
まるまる7年を経過。
一心不乱に仕事してきた。
この間、2008年6月には、
コーネル大学RMPジャパンが発足し、
その副学長に就任。
2009年4月からは、
立教大学大学院特任教授の職に就いた。
それらを昨年3月に一応、
すべて終わらせた。
だから㈱商人舎代表取締役社長に専念したのは、
今年度からということもできる。
そこで2014年度決算は、
過去最高の売上げと利益。
と言っても会社は、
完璧なほどのマーケット・ニッチャー。
そのニッチャーの在り方を、
これからも貫徹、究明していきたい。
マーケット・ニッチャーが、
マーケット・リーダーや、
マーケット・チャレンジャーに、
適宜アドバイスを与え、
時には指導する。
しかし次々に知識商人が集ってくる。
それが商人舎だと思う。
さて、土曜日の午後から、
横浜商人舎オフィスに出社。
夕方まで、
月刊『商人舎』2月号の入稿仕事。
そして午後7時。
岡野町交差点。
ここまでオフィスから5分ほど。
それから1分の和Dinig。
一如(いちにょ)。
ちょうど50年前に、
私は横浜の私立聖光学院中学校に入学。
3年後、同高等学校に進学。
中高一貫教育の学校。
あの福島県の甲子園常連高校とは、
名称は同じだが関係はない。
この6年間の真ん中の高校1年くらいから、
文学同人誌に参加した。
先輩から受け継いだ『ひこばえ』。
その仲間は7人。
1年に一度、正月明けに集まって、
近況など報告しあう。
仲居さんがこんな感じで、
撮ってくれた写真。
全員が62歳で、
ひとりも欠けず、
生きている。
これがまず、いい。
しかし全員、
子供はいるが、
孫はいない。
もしかしたらそれが、
私たちの若さの秘訣かもしれない。
銀行員、技術者、
食品製造小売業、教員、
そしてジャーナリスト。
7人のうち4人がまだ現役で、
フルに仕事をしている。
私の隣から篠田宏、関孝和、
後ろ左から城戸康、廣部秀一、
冨澤弘文、福田良太郎。
関が『ひこばえ』でも編集長で仕切り人だった。
廣部は早熟の多作家で長編小説など書いていた。
城戸は秀逸の文章家で抜きんでていた。
篠田は気持ちのこもった詩など物していた。
私は、そんなに目立つこともなく、
自分なりの短文や詩をつくっていた。
私は15歳の『ひこばえ』同人のころから、
大学時代、社会人時代を含め47年間、
人に読まれる文章を書き続けている。
それが結城義晴の特徴であり、
強みということになるか。
私たちは互いに「聖光生」と呼び合ったが、
徹底して「紳士たれ」と教育された。
その意味で皆、
紳士たるべく、
人生を歩いてきた。
「また、来年」
そう声を掛け合って、
あっさりと別れた。
こうやって、
一年いちねん、
淡々と生きていく。
まだ、先は長い。
一月行く、
二月逃げる、
三月去る。
一月が行った。
〈結城義晴〉