CCLの「ウレコン」と糸井重里・上野光平の「よくわからない存在」
初夏の陽気というのだろうか、
気持ちのいい日。
朝から東京タワーが美しい。
今日はなぜか、
タワーが大きく見えた。
カスタマー・コミュニケーションズ㈱。
略称CCL。
その取締役会。
最近、ホームページを刷新。
「TRUE DATA」が新キャッチフレーズ。
会社の内容がわかりやすくなった。
まだまだだけれど。
それから4月20日から、新しく、
主にメーカー向けのサービスを始めた。
名称はウレコン。
「売れ筋コンパス」の略。
つまりは全国の小売業、
おもにスーパーマーケットとドラッグストアの、
POSデータとID-POSデータの情報をもとに、
カテゴリー別、商品別に、
その売れ筋の動向を知ることができるサイト。
7月から有料になるけれど、
6月末までは無料お試し期間。
今夏から、続々と、
さらに新しいサービスをリリースする。
例えばDolphin Eye、
例えばEagle Eye。
小売業向け分析ツールは現在、
3つのシステムがある。
Shopping Scan
Map Scan
Customer Scan。
毎月毎月、取締役会に出席して、
報告を聞き、質問をし、意見を言う。
それに応えて、次々に改善改革が進む。
もちろん幹部や社員は不断の努力。
すごいスピードで動いている。
このわかりにくいIT業界の、
最先端のスピード感を、
私も実体験して、
感動しつつ、学んでいる。
会議は正午に終わって、
同僚非常勤取締役の、
川崎清さん、田窪伸郎さんとランチ。
その後、横浜に戻る。
さて、『ほぼ日刊イトイ新聞』
目次のページのコラムは糸井重里執筆。
「『よくわからない』存在って、
よくないとはかぎらないんだよね」
これ、自分のこと。
自分の会社のこと。
「だいたい、『ほぼ日』って、なによ。
『よくわからない』って、
ずっと言われてるよ。
似たような会社と比べてみて
‥‥とか言われても、
どこの会社が似ているんだかわからない」
そして自分のことを述懐。
「コピーライターという肩書きは便利なもので、
『よくわからない』やつをいれておくには、
とても都合のいい容器だった」
そして仕事した。
「なにか頼まれたり
誘われたりしたことがあったら、
やったことないことも、
習ったことのないことも、
困ったなぁと思いつつ、
だいたい引き受けた」
「でも、コピーライターってのは、
なんでもやる仕事じゃない、
ほんとはね」
つづけて述懐。
「コピーライターの仕事をしなくなってから、
肩書きがつけられなくなってしまって、
あらためて『よくわからない』存在であることが
はっきりしてしまったように思う」
「メディアなどで肩書きのところに
習慣のように『コピーライター』と記されているとき、
『もう、やってないんですよねぇ』などと、
修正をお願いするべきなのかもしれないけれど、
そんなことどうでもいいや、と、
そのままにしている」
「ほんとは『よくわからない』仕事を
してるんです」
「キッパリと言えば言えなくもないのだけれど、
しかも、そのほうが応援する人も
しやすいのだろうが、
ちっちっち、ぼくらをなめちゃいけない(!)」
「もっとずっと『よくわからない』ことを
考えているのだ」
最後に決意表明。
「これまでもそうだったように、
これから先も、
ぼくや、ぼくらのやることは
『よくわからない』を、
グラマラスな肉付けのように
持ち続けるであろう」
この気分、私にはよくわかります。
私も「何屋」なのか、
よくわからない。
外国では「コンサルタント」と紹介されたり、
あるときは「ジャーナリスト」と言ったり、
昨年までは「大学院教授」でもあった。
㈱商人舎代表取締役ではあるけれど。
そういう糸井さんだって、
㈱東京糸井重里事務所代表取締役。
考えてみると、
ピーター・ドラッカー先生こそ、
よくわからない存在だった。
歴史上随一の経営学者で、
最後までクレアモント大学教授ではあったが、
それだけでは物足りない。
コンサルタントの仕事もしたが、
それだけでは断じてない。
思想家、啓蒙家、文筆家、教育者。
どう表現しても、
そのひと言が陳腐になってしまう。
そんな存在だった。
もちろん商業界の故倉本長治先生も、
「よくわからない」存在だった。
商業に関する思想家、指導者、
コンサルタント、文筆家。
「商業界主幹」が通り相場の肩書きだったし、
「主幹」とは「中心となる人」だが、
実はよくわからない。
故渥美俊一先生は、自ら称した。
日本リテイリングセンターチーフコンサルタント。
渥美先生らしく、明確だった。
しかし盟友の上野光平先生は、
まさによくわからない存在だった。
オーナーの堤清二さんに請われて、
西武百貨店に入社し、
西友ストアーを創業して支配人となり、
最後は流通産業研究所理事長・所長。
業界のご意見番のような存在だったが、
よくわからない立場に身を置いた。
商業界の先輩の緒方知行さんは、
「生涯一編集者」と自称しているが、
私はどうも、それとは違うようだ。
私はずっとずっと小粒だが、
糸井の言うように、
倉本先生や上野先生のように、
そしてドラッカーのように、
「よくわからない」存在ではありたい。
上野先生は大正13年生まれで、
伊藤雅俊さんと同年だったが、
63歳で逝去された。
著書の一冊が『自己啓発のすすめ』
その中にある。
「自己啓発とは、
かけがえのない
ただ一回かぎりの人生を、
死の瞬間まで続く、
一生かけての仕事である」
私は「よくわからない」を、
グラマラスな肉付けのように
持ち続けることはないかもしれないが、
死の瞬間まで続く、
一生かけての仕事は、
貫きたいものだと思う。
その意味で、
よくわからないIT業界に首を突っ込むことも、
自己啓発という側面を持っている。
〈結城義晴〉