3月期決算企業株主総会集中の違和感と「とんがり★こだわり」
今日は6月最終週の金曜日。
打って変わって横浜も東京も雨。
3月期決算上場企業の株主総会、
今日がピーク。
「お足元の悪い中、
お集まりいただき、
ありがとうございます」
こんな決まり文句の総会挨拶が、
繰り返されたに違いない。
総会屋もきっと、
足元が悪い中、
忙しかったに違いない。
東京証券取引所の上場企業では、
977社で全体の41%。
警察庁の調査集計では、
全国で1013社。
昨年の株主総会のピークも、
6月第4金曜日の27日だったが、
それよりも54社多かった。
日経新聞調査では、
上場企業の業績が昨年度、
過去最高を更新。
だから足元は悪かろうがなんだろうが、
平穏無事な株主総会ばかりだったはず。
ただし今年6月1日から、
東証と金融庁が行動規範として、
「コーポレートガバナンス・コード」を、
適用した。
「企業統治指針」のガイドライン。
ただしこのコードは法律ではない。
だから強制力はない。
しかしコードに従わない場合、
その理由の説明が求められる。
「コード」という概念はおもしろい。
例えば「ドレス・コード」とは、
ある局面に参加するときの服装規定のことだが、
このルールに従わねば、
注意を受け、常識を疑われ、
仲間はずれにされてしまう。
浅野内匠頭は、
吉良上野介から、
間違ったドレス・コードを教えられ、
刃傷に及ぶ。
場合によってコードとは、
そんなところまで行ってしまうもの。
既に昨年2月には、
機関投資家に向けて、
「スチュワードシップ・コード」が、
金融庁から公表されている。
こちらは機関投資家の行動指針で、
投資先企業に対する責任が明記されている。
「スチュワードシップ・コード」と、
「コーポレートガバナンス・コード」。
二つのコードが、
株主と企業の関係の原則を示し、
両者の関係を、
国際的な基準に則ったものにする。
非上場のオーナーシップ経営企業は、
株式が公開されていない。
だから大抵の場合、
株主と企業経営者が、
ほぼイコールである。
全てはその判断に委ねられ、
それが時代の変化に対応し、
スピーディな意思決定と、
迅速な転換や実行を促して、
競争力を生み出す場合がある。
その結果、ファミリー企業が、
上場企業を凌駕することがある。
「スチュワードシップ・コード」と、
「コーポレートガバナンス・コード」は、
主に株式上場社会におけるルールだが、
だからといって非上場企業に、
企業統治の原則が必要ないというわけではない。
全ての企業に共通して重要だ。
今日の上場企業の株主総会は、
まさにその企業統治元年だった。
企業の成長発展のために、
株主と企業家とが、
真剣に語り合うことは、
理想主義的で望ましい。
問題は議論の中身ではあるけれど。
シャンシャン総会はよろしくないが、
ファミリー企業のスピードに負けたら、
上場企業にとって、立つ瀬はない。
そのことは両者ともに、
わかっているだろう。
ただし、どこの企業も、
株主総会を今日に集中して、
執り行うというのは、
ポジショニング戦略からすると、
違和感がある。
つまり、間違い。
コーポレートガバナンス・コードが適用された、
6月1日の毎日更新宣言ブログ。
私は指摘した。
「ユニークで業績のいい会社は、
決算月も他社と異なる」
ツルハホールディングスは5月。
ドン・キホーテが6月、
アルペンも6月。
ファーストリテイリングは8月、
ビックカメラも8月。
アマゾン・ジャパンは12月。
ウォルマートは1月だけれど、
西友は12月。
そしてロック・フィールドは4月。
「組織は戦略に従う」
アルフレッド・チャンドラー・ジュニア。
その戦略が、
「アウトスタンディングなポジション」を、
基本に置くならば、
組織運営のユニークさこそ、
企業の「強み」となる。
子供の頃、
学校のクラスでは、
勉強ができる子、
あるいはスポーツが上手かったり、
喧嘩が強い子が、
リーダーや親分となった。
それらがからっきしダメで、
いつもイジメられっ子。
しかし抜群に面白い子、
みんなの笑顔を誘う子。
そんな似鳥昭雄さんが、
勉強、スポーツ、喧嘩の得意な子たちを、
差し置いて実業で大成功を収めた。
時代はコンテスト型競争。
レース型競争に強い子たちは、
むしろ特徴のない平凡な人間になってしまった。
もちろんどちらの人生も、
それぞれに価値があって、
優劣をつけるべきものではない。
それこそが、
コンテスト型競争時代の、
重要な鉄則だからである。
しかし誰しも成功したい。
その成功の鍵は、いまや、
「とんがり★こだわり」にある。
今年1年の商人舎標語。
誰かがパクりまくった、
あれこれの色あせた戦略を、
取っ替え引っ替え採用する企業には、
「コーポレートガバナンス」は必須。
さらに似鳥昭雄の爪の垢を煎じて、
ぐいっと飲ませてやらねばならない。
〈結城義晴〉