上田昭夫さんの訃報と本田宗一郎「得手に帆をかけて生きる」
梅雨明けの大暑、
しかし夕方には爽やかな空。
上田昭夫さんが逝った。
62歳。
慶応義塾大学のラガー時代、
スクラムハーフとして活躍。
4年次には主将。
1975年に卒業し、
社会人ではトヨタ自動車工業(当時)。
1977年度、選手として日本選手権優勝。
1974年~79年には日本代表。
テストマッチ出場回数のキャップは6。
1984年に、慶応の監督に就任し、
85年度には、大学選手権で、
明治大学と両校優勝。
勢いを駆って日本選手権を制覇。
その決勝の相手は、
上田さんが社会人で属したトヨタ自動車だった。
この1985年度は、
慶應義塾體育會蹴球部にとって、
史上最高の年だった。
上田さんは、
選手としても優秀だったが、
指導者として花を開かせた。
その後、87年、フジテレビ入社。
キャスターとして活躍。
さらに1994年、
慶応監督として復帰。
1999年度は創部100周年のシーズンだったが、
関東学院大学を破って、大学選手権優勝。
体は小さかったが、
論理明快、熱血指導。
そしてここぞという時に、
不思議な勝負強さを発揮した。
2012年10月、フジテレビを定年退職。
難病のアミロイドーシスに侵されて、
治療中だった。
1999年7月から、
フジテレビのホームページで、
「編集長のひとりごと」を、
平日に毎日書き始めた。
2000年4月から「上田昭夫のひとりごと」、
2007年8月から「スポーツひとりごと」となり、
亡くなる直前の今年6月30日が、
絶筆となった。
偶然にも「スポーツひとりごと」は、
私の「毎日更新宣言」と同じ月のスタート。
そして私と同じ年。
絶筆のタイトルは、
「ああ・・・・」
胸が熱くなる。
ご冥福を祈りたい。
さて、日経オンライン「経営者ブログ」。
高原豪久ユニ・チャーム社長。
今日のタイトルは、
「本田宗一郎さんに学ぶ 仕事の極意」
ホンダ創業者の本田宗一郎さんの言葉。
「『得手に帆をあげて』生きるのが
最上だと信じている」
「得手」は「えて」。
「最も得意な分野で働くことが、
その人の価値を最大限に発揮できる」
これが本田さんの信念。
「好きこそものの上手なれ」
「好きなことを一生懸命やることによって、
専門性が磨かれて、
それが成果を生んで自信となり、
そして更なる努力につながるという、
グッドサイクルが回り始める」
しかし高原さんは指摘する。
「我々職業人としては、
不得手なことを一切やらずに
済むことはまずあり得ません」
そこで経営者は、
「社員それぞれの適性や得手が
何かを常に正しく見極めて、
適材適所の人事を行えるよう
ベストを尽くすことが
最も重要な役割だと思います」
「さらには組織のパワーを
最大限に発揮するために、
上司は自分自身の得手・不得手と、
部下のそれとの補完関係を十二分に考えて、
うまく組み合わせることが
ますます重要になっている」
ユニ・チャームが実践しているのが、
SAPS経営モデル。
「なぜ5」をくり返し、
本質を追究していく。
ユニ・チャームでは、
「『自分の専門テーマ』について、
社員一人ひとりに考えてもらう」
その専門テーマとは、
「まず何といってもそれが大好きで、
10年かけても自分自身のために
自らが主役となって成し遂げたいと
渇望するような専攻テーマを決める」
「そしてひたむきに、
そこだけに集中する『一意専心』の気持ちで
取り組み続ける」
全社員が「世界最先端の専門家」となる。
今日のブログは、
高原さんの自社への思いが強すぎて、
共感を呼ぶという書きようではないけれど、
趣旨は分かる。
ピーター・ドラッカー教授は強調する。
「自分の強みだけを見よ」
それは「ほかの誰かになろうとしない」こと。
つまりほかの誰かの真似ばかりしないこと。
本田宗一郎の「得手に帆をかけて生きる」も、
まったく同じ哲学だ。
それは高原さんの言う「仕事の極意」だけでなく、
「人生の極意」そのものである。
上田昭夫さんも誰よりも、
得手に帆をかけて、生きた。
だから不思議に勝負強かった。
心からご冥福を祈りたい。
合掌。
〈結城義晴〉