「気の利いたことば」と「うまいこと」には注意すべし!
春です。
私の住む横浜・妙蓮寺駅の近くに、
蕎麦屋がリニューアルオープン。
鴨屋 そば香。
その菜の花の天麩羅。
南瓜もおいしい。
しかし蕎麦屋といえば、
板わさ。
池波正太郎を思い出す。
「蕎麦前なくして蕎麦屋なし」
「蕎麦前」は、
蕎麦が茹で上がる前に、
肴をつついて呑む酒。
出汁巻き卵。
そして蕎麦コロッケ。
春来たりとはいえ、
まだちょっと寒いから・・・。
卵とじ。
来週はもう、3月。
一月往ぬる、
二月逃げる。
今週月曜日に、
サンフランシスコから帰ってきて、
あっという間に、
二月逃げる。
ああ。
糸井重里の『日刊イトイ新聞』
その巻頭言は「今日のダーリン」
今日は「気の利いたことば」を考察。
いいねえ。
あんまりよすぎて、
ほぼ全文を引用。
いろんな「気の利いたことば」というのは、
かなりの確率でオリジナルではない。
そのとおり。
人は、どこかで
聞いたことのあることばを、
「じぶんもそう思う」と(共感)
強く思うことによって、
「じぶんはそう思った」と、
思いこんでしまう。
「じぶんも」と共感したことと、
「じぶんは」と考えついたこととは
ずいぶんちがうと思うのだけれどねぇ。
しかし、大事なことは次のフレーズ。
なかなかよくできた
「気の利いたことば」は。
その「気の利き方」がゆえに、
「ほんとはそう思ってなくても、
言いたくなっちゃう」
というようなことも引き起こしてしまう。
ほんとうに、そうです。
「ぼくが、あと二十年生きられるとして、
何回の食事ができると思う?
数えてみたら、ずいぶん少ないよ。
だから、1回ずつの食事に
こだわりたいのだ。
まずいものなんか食ってるわけには
いかないんだよ」
というような御説は、
みんなどこかで聞いているだろう。
ほんとうにそう思って
言っているのかもしれない。
でも、よく噛みしめて聞いているうちに、
これ、「言いたいだけで言ってる」と
思えてこないか?
「おれは、あと何年でやめる」
なんてのも、おんなじ。
おおよそ「あと何回」とかいう発想は、
ぼくには、どうも
インチキ臭く感じられてならない。
ここが、大事だ。
いついつまでに、
何が起こる、らしい。
だから、俺の言うことを聞け。
聞かないと大変な目にあうぞ。
脅し。
賺し。
「ぼくが死ぬまでに、
何枚の原稿を書けるか。
それを考えるとだね、
一枚ずつの原稿に、
魂をこめざるをえないんだよ」
なんて、ま、聞いたことはないけれど、
そういうことを言いたがる人は、
信用できない気がする。
人間って、そういうもんなのかなぁ?
と思ってしまう。
ほんとうにそう思えて
言ってることばと、
かっこいいから
「言いたくなっちゃう」ことばは、
注意して分けたほうがいいと、
ぼくは思う。
納得。
賛成。
「人の命は地球より重い」
みたいなことばも、
ついつい「じぶんもそう思う」と
考えがちだけれど、
そんな比喩を、
こころが納得しているのかなぁ。
‥‥なんて、「自戒を込めて」
書いてみた‥‥りした。
ぼくも「うまいこと言う」商売だと
思われてて苦労をした。
以って自戒とすべし。
糸井重里は、言葉を商売にし、
そのうえで、丁寧に、慎重に言葉を選ぶ。
言葉を仕事にしてきた糸井。
実に実に、正しい。
鋭い。
私も、その端くれ。
15のときからそろそろ50年。
それでも、以って自戒とすべし。
ただし、言葉に慎重でない者の、
「うまいこと」には、ほんとうに、
注意しなければいけない。
「以って自戒とすべし」の志を持たぬ者の、
脅しや賺しには、
断じて動じてはならない。
〈結城義晴〉